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『玄語』は江戸中期の思想家、三浦梅園の第一主著である。
『玄語』は、陰陽哲学、気の哲学をベースに論理的な世界像を構築したものである。その表現にはおよそ160の図と10余万語からなる文(漢文体)が用いられ、ともに細部に至るまでシンメトリックな構成に貫かれている。『易(易経)』に思想の淵源を持ち、『天経或問』などによって江戸日本に伝えられた西欧の天文学に多大な影響を受けている。そのことを直接的に推測できる図が「地冊露部」(地球論・天球論を論じる部)にいくつもある。「本宗」(ほんそう)などは『荘子』の「斉物論」をシステム化したかのような印象を受けるが、その一方「小冊人部」では、儒教的人倫が取り上げられている。 長らく、23回目の改訂稿本である「安永本玄語」と、24回目の改訂稿本である「浄書本玄語」を編集して全8冊としたものが、完成された『玄語』であると思われてきた。しかしこれは、梅園没後、長男の三浦黄鶴が、梅園晩年の高弟である矢野弘の助言を受けつつ改訂編集したもので、細部に黄鶴の考え違い、恣意的な編集が散見されるものである。『梅園全集』や岩波思想大系68『三浦梅園』の『玄語』は、この黄鶴編集版であるので、これをそのまま三浦梅園の『玄語』と思ってはならない。 全8冊は、それぞれ「本宗」「天冊活部」「天冊立部」「地冊没部」「地冊露部」「小冊人部」「小冊物部」「例旨」と名付けられている。「本宗」は「小冊」に対峙するものとして、別名「大冊」とも言われる。これらの構成は、以下のように図示できる。これから理解できるように、『玄語』は四冊八部によって構成されている。「大冊」としての「本宗」は、「天冊」と「地冊」を、陰陽・天地という基本カテゴリーによって再構成したものである。
これは、神物剖析図一合のテンプレート(下)を少しアレンジすれば、その中に配置することが出来る。中央部は、当然、言明不能の一者である。
記述は甚だしく複雑で、独自の用語を用いている上、その用語の定義を自己自身の内部で行うという、きわめて特異な性格を持っている。また、限られた文字資源の反復利用の結果ではあるが、同じ文字がまったく異なった意味を持つ場合があまりに多いため、解読・翻訳に多大の困難を生じている。これらは前後の文脈から意味を類推するほかないが、その前後の文脈も同様の性格を持つため、その意味の理解は、あたかも暗号解読の様相を呈することになる。 全体にきわめて論理的に書かれた書物であるが、細部に至るまで厳密に論理的ではなく、形式化した対称性へのこだわりや、そのレトリックへの転用などが、一貫したデータ処理を困難にしている。 また『玄語』には、論理そのものを抽出して論じた箇所が見あたらない。数理に関しては初期稿本から既に独立した項目を設けて論じており、最晩年に完成した第2主著『贅語』にも「説数」という項目を設けて論じている。論理の絶対的な妥当性を自覚してはいるが、それを抽出して論じ、発展させようという姿勢が見受けられないのは、日本の思想全般に見受けられる特質である。それは古代ギリシャに端を発する西欧の論理学に比すれば、日本思想における負の特質であり、梅園もその範疇にとどまっている。しかし、構造の一貫性については、強い自覚とともに、実際にそれを書きつづっている。 陰陽論の近代的合理化としての『玄語』 未完成に終わったとはいえ、三浦梅園が37年という歳月をかけて『玄語』を書き上げたのは、江戸中期、1700年代半ばのことである。梅園は、この書の中で、自然界をひとつの有機的全体と見なし、あらゆる部分が相補的な関係の連鎖によって構築されていると考えた。この発想は、多くの面で革新的な内容をはらんでいるが、それは伝統的な陰陽論に立脚するものである。 ただし、天地論については、長崎から流入してきた西欧天文学の影響を色濃く受けており、伝統的な儒教的天地論からは大きくかけ離れることとなった。梅園は、その思想の過程で中華思想と決定的に決別し、独自の天地論を構築した。 『玄語』は、明治45年、1912年に『梅園全集』が発刊されるまで、半ば忘れられた書物であった。明治になって、内藤湖南や西村天囚によって梅園の業績が学界に紹介されたが、この著作が一般の目に触れたのは『梅園全集』が発刊されてからのことである。しかもこの時点では、『玄語』の稿本改訂履歴が正しく認識されていなかったため、『玄語』という著書名が確定する第10稿に至るまでのいわゆる初期稿本は、『玄語』とは別の著作と見なされていた。これらが『玄語』の初期稿本であることを明らかにしたのは、田口正治の詳細な文献調査による。 『玄語』が長く人目に触れなかった最大の理由は、それが出版されなかったことによる。版下本作成など、出版の準備は為されたが、資金不足のため頓挫した。また『玄語』は、あまりに特異な書物であったため、同時代の近隣の学者からも理解されなかった。師にあたる藤田敬所なども、この書に関してだけは批判的であった。 昭和に入ってからは、ヘーゲル弁証法との近似性が指摘され、梅園はいわば「和製ヘーゲル」として一躍学界の注目を浴びることとなった。このような観点からの解釈は日本のみならず、旧ソビエト連邦などでも為されており、同国の百科事典では三浦梅園を日本の代表的思想家のひとりとして紹介していた。むろん、日本の唯物論哲学の代表的創始者としてである。この解釈を生み出したのは、三枝博音(1892-1963)であるが、三枝は昭和に入って『玄語』の自筆稿本を精読した唯一の学者であった。このときまだ30代の若手研究者であったが、三浦家の離れに1ヶ月ほど泊まり込み、一気にその学説を構築した。 また、三島由紀夫の諸作品の翻訳で知られるドナルド・キーン氏は、梅園の思想の独自性に早くから注目し、『多賀墨卿君にこたふる書』の英訳、抄訳を行っている。この書簡は非常に重要なもので、今日では DEEP WORDS(Rosemary Mercer著、BRILL社、Holland)で全文の英訳を読むことが出来る。 『玄語』は、その全体が明確な指針の下に設計された書物である。それは、二行一対の記述法と、明確な構造を持つ図に端的に表現されている。図は、あたかも文字による曼荼羅の様相を呈している。しかし、三枝がその代表的研究書である『三浦梅園の哲学』において図を完全に排除したことに端を発してか、『玄語』研究においては、文に比して図を軽視する傾向が生まれ、梅園がこの著書全体を明確な構造的指針の上に著述していることは指摘されなかった。 精緻な体系化が成し遂げられている点においては、『玄語』は日本史における異例の著作であるが、それは『玄語』が、仏教・儒教・道教などの伝統的思想の近代的合理化として成立したことと無縁ではない。30歳になって「条理」を発見するまでの知的空白の中での梅園の彷徨を窺うと、そこに日本における近代の胎動と誕生を見ることができる。むろん、それは同時代の他の思想家においても同様である。 また梅園は、両子(ふたご)の里と言われる生地から生涯ほとんど離れることなく、みずからを「両子山人」とも称していた。世界全体を二分岐の連鎖によって関係づけようとしたその思想が、風土の影響を色濃く受けていたことが分かる。体系を十分に精緻なものとして作り上げるに足る知的素材と強靱な思考力、それに加えて、思想を育むに足る特異な風土があったものと推測される。思想と風土の関係を知る上でも、『玄語』は貴重な素材である。 しかし、その時間論・空間論は、およそ伝統思想とも風土ともかけ離れたもので、ここには天才の独創を見るほかない。驚くべきことに梅園は、時間全体、すなわち「時」と、空間全体、すなわち「処」を、その外部から構築し、その内部構造である「過去」「現在」「未来」などや、「中心」「周辺」「左右」「上下」などの諸概念すべてを、「条理」と彼が名づけた二分岐の連鎖によって分類し尽くしている。時間と空間をその外部から位置づけたという点で、梅園は、カントやニュートンを凌ぎ、アインシュタインに先駆している。実際、その時空間論は、概念によって構築された相対論的時空間論と言って良いものになっている。 アインシュタインの時空間論が運動物体の記述に適していることは言うまでもないが、梅園のそれは、生命の、また精神の成長の記述に適している。しかし、これらの問題について議論されたことは、未だに無い。 『玄語』における相補性 『玄語』に一貫する発想は「相補性」である。これを梅園は「相依」(そうえ)と書いている。「相依」は、仏教などに見られる思想であり、六郷満山と言われる国東地方に生まれた梅園の思想が、その地域性の故に必然的に持つことになった基本的発想のひとつである。「相依」とは互いに依拠し合うということである。これは「相反」(そうはん。互いに反する)と並んで、『玄語』全編に貫徹する思考の原理である。
剖対反比図一合(ぼうたいはんぴずいちごう)
『玄語』の基本構造が二分木構造(binary tree)であることを示す。2図の中央で折り合わせて重ねる図である。中央に本の綴じがある。
経緯剖対図(けいいぼうたいず)
![]() この図は「一」の相補性、すなわち相依(そうえ。相い依る)の関係を端的に示している。 これらの図は、水面に広がる輪のように際限なく続くものである。このような構造は、論理的関係としては「反合成全」と言われ、それを認識するための技法として「反観合一」が用いられる。これは一見するところ、ヘーゲルの弁証法で言われる「対立物の闘争と統一」に近似している。 この類似性を発見したのは、既述のごとく三枝博音である。三枝は、昭和16年に刊行された『三浦梅園の哲学』で、梅園の思想をヘーゲル弁証法と同一のものとして学界に紹介して多大な支持を得、その後数十年にわたって、梅園の思想を日本の弁証法哲学の嚆矢とする説が学界の定説となった。 後に、朱子学研究を専門とする高橋正和氏が、三枝がその論拠とする文が『玄語』の中に無いことを指摘し、学界に論争を挑んだ。しかし、梅園の思想を日本における弁証法哲学と見なす研究者、というより実際は左翼イデオローグに過ぎない人々からは、徹底して無視されたため、論争にすらならなかった。ここには、学問がイデオロギーに汚染された場合に起きる、正当な学問的議論の放逐を見て取ることが出来る。これは学問のイデオロギーに対する敗北であると同時に、イデオロギーに対する人間の敗北でもある。 『玄語』のファイル構造 『玄語』は、二分木(binary tree)を基本の構成としているが、ファイル名は多分木(multiway tree)になっている。そしてファイルは、白の傍点と黒の傍点で一対になるように書かれている。これは『玄語』全体にわたってかなり厳密に守られている記述法である。つまり、『玄語』は木構造、すなわちデータ構造を持っているのである。それに加えて160余の図がある。これらは以下のような関係にある。これからして、『玄語』が全体としては具象的な樹形モデルになっていることが分かる。つまり、『玄語』は世界を樹形モデルとして描こうとした書物である。 このことは、梅園自身が書いた体系図、すなわち浄書本の体系図からも窺えるが、「本宗」「天冊活部」「天冊立部」「地冊没部」「地冊露部」「小冊人部」「小冊物部」の各冊の内部にも、二分木から多分木へ向けての階層化が為されている。最晩年に完成した『贅語』との照合からして、梅園が『玄語』の細部までを階層化したのは、少なくとも安永四年本成立後のことであると推測される。 ![]() 『玄語』浄書本の体系図 例として、「地冊没部」の内部の階層を示す。体系の全体は、図では言明不能な一者であるとして、表現不能の白紙として示される。この白紙には「一不上図」と書かれているが、『梅園全集』では、この白紙の図が欠落している。これがラッセルの逆理に陥る自己包越者、すなわち無限定的全体性であることは、末木剛博の論文「梅園とヘエゲル」(梅園学会報第15号)に指摘されている。梅園が体系の全体を不可知のものとし、いかなる主観的表象も立てなかったことには、驚くべき近代性を見ざるを得ない。 これからして、『玄語』は、二分木、多分木、ファイル名、文、図によって、語が配置または配列された書物であることがわかる。語は、現実に存在する個物、または個物相互の論理的関係、またはその時系列での関係としての事象に一対一に対応する。これらの語は、世界を構成する要素に貼り付けられた名札であるが、あくまでも『玄語』の論理に合致するように命名されているため、時として読む者を幻惑することになる。 太陽中心の光熱圏を指示する「華」(か)と、地球中心の水冷圏を指示する「液」(えき)などが良い例で、その語が指示する対象を把握できるまでは意味不明であるような語がきわめて多いが、図との対応付けで意味が明らかになる場合もある。 たとえば「華」は下の「日影図」(中心は太陽)、「液」は下の「天地図」(中心は地球)の中の「水」(すい)と「燥」(そう)を意味している。「水」は地球を取り巻く海洋、つまり水球のことで、「燥」は大気圏を意味している。これが一対一の対応関係に置かれる。ここには、ガリレイやニュートン以降の西欧的天文学とは性質をまったく異にする天文観が構築されている。これは、天動説か地動説かの二者択一を必要とした近代西欧とはまったく異なる思想的・文化的脈絡の上に成り立つものであるが、古代ギリシャにまで遡ると、類似の発想を見つけることが出来る。 梅園は、地表の生命の世界から天球に至るまでの宇宙を、ただひとつの構造、すなわち条理によって構成しようとし、体系の内的な整合性においては、これに成功していると見られる。ただし、科学的実証に耐えるか否かの検証はなされていない。この図は「本宗」(ほんそう)に描かれているが、階層的には「地冊露部」に属するものである。 「地冊露部」では、天球に至るまでの宇宙空間が記述されている。「本宗」は総論と思われがちであるが、実際は「天冊」と「地冊」のダイジェストとして「小冊」に対峙するものであるから、決して『玄語』全体の総論であるわけではない。したがって、この図が「本宗」に属することになんら矛盾はない。梅園は小冊に対峙するものとして、「本宗」を「大冊」とも名づけているが、むしろ「小冊」、すなわち地表の物体と人倫を扱う部分が、書物の構成上、これに対峙する「大冊」としての「本宗」を必要としたとも考えられる。
天地図と日影図
![]() 地球から見た宇宙と太陽から見た宇宙の一対一対応(条理的対応) 同様に難解な例として、類的同一性を指示する「本」(ほん)、それを個物に結実させる物質を指示する「物」(ぶつ)、個物を成立させる精妙な機構を指示する「精」(せい)、個物を通じて発現される類的特質を指示する「英」(えい)などの語を含む文は、ほとんど意味不明の様相を呈する。次のような文がそれである。 233: 若し気物体性の本根精英を為すに非ずんば、 234: 則ち豈に相い依って一を成さんや。
(行番号は三浦梅園資料館刊行の『玄語』と同じ)
これは、「もし、気物体性が本根精英を為すのでなければ、どうして互いに依拠し合ってひとつのものを構成することが出来るであろうか?」という意味であるが、そもそも「気物体性」と「本根精英」という語の意味が分からなければ、この文の意味は不明である。そしてこれらの語の定義が『玄語』のどこで為されているかを梅園は明記していない。彼は、自分の造語、すなわち梅園が「条理の言」と呼ぶ語の定義を明示することなく、それらの語によってひとつの書物を書き上げてしまっているのである。これが何かの知的伝統に由来するものなのか、あるいは思想表現のための不可避の手段として梅園が考案したものであったのかは、未だに不明である。 『玄語』の語法 『玄語』において用いられる用語は、原則として一義一語であり、二語一義は例外である。たとえば「天地」とあれば「天と地」のことであり、「宇宙」とあれば「宇と宙」のことであり、「経緯」とあれば「経と緯」のことである。そしてこれらの用語の前後に置かれる語も、同様に相反性を持つことが多い。 梅園は「宇」と「宙」を別々に定義している。その定義によれば、「宇」は空間のことであり、「宙」は時間のことである。従って「宇宙」は「空間と時間」の意味であることになる。このような例は枚挙にいとまがない。 たとえば、「天有天地天神」(天は天地天神を有す)という文がある。いま、相反性を「|」で示し、一組の語であることを( )で示すことにすると、 天地は(天|地) 天神は(天|神)と書ける。(天-地)と(天-神)は相反性を持つので、(天-地)|(天-神)と書ける。最初の「天」は高次の概念であるので、結局この文は、 天[(天|地)|(天|神)]と書くことができる。この文に対応するのが天神天地図(てんしんてんちず)である。
この図を上のように書き改めると、次のようになる。 (一)|(物|神) 物|(天|地) かつ 神|(天|神) 故に (一)|(物-神) = (一)|[(天|地)|(天|神)]図の中央の「一」が、この文では「天」になっている。この3個の「天」は、意味がまったく異なる。 もうひとつ例を挙げる。 4387: 天成東西南北〉則 4388: 人成前後左右》 4389: 天成転持動止〉則 4390: 人成行居睡覚》(数字は三浦梅園資料館発行の『玄語』の行番号。〉は黒の傍点、》は白の傍点の代用記号。以下省略する。) これは、 4387: 天成|[(東|西)|(南|北)] 則 4388: 人成|[(前|後)|(左|右)] 4389: 天成|[(転|持)|(動|止)] 則 4390: 人成|[(行|居)|(睡|覚)]と書き換えられる。かつ、4387-4388、4389-4390という相反性があるので、「則」を「|」に置き換え、{ }を使ってまとめれば、 4387-4388: {天成|[(東|西)|(南|北)]}|{人成|[(前|後)|(左|右)]} 4389-4390: {天成|[(転|持)|(動|止)]}|{人成|[(行|居)|(睡|覚)]}となる。 「成」という共通の語があるので、この4行はひとつのブロックを構成していることが分かる。これを示すのが白と黒の傍点で、この傍点に従って文を配列すれば、『玄語』全文が対構造を持って記述されていることが分かる。対構造を持っていない文は「。」が使われる。これを返り点と送り仮名に従って読めば、 天は東西南北を成せば、則ち人は前後左右を成し、天は転持動止を成せば、則ち人は行居睡覚を成す。 となり、文の構造が分からなくなる。この読みでは文の構造が隠れてしまう。これは、傍点に従った構造的な読みと対を為すのである。私は、前者を「粲立の読み」、後者を「混成の読み」と呼ぶことにしている。 15474: ○物は経緯を有す〉諸を文辞に寓するに〉経は先後に由て序す可し〉 15475: 緯は両辞斉発す可からず〉 15476: 気は混粲を有す》諸を図書に託するに》粲は條理に由て分つ可し》 15477: 混は罅縫綻開す可からず》故に 15478: 文は変化に錯綜す〉 15479: 図は條理に整斉す》夫れ物は統散の分を有す。 と書かれているように、「条理」の構造に由来している。しかし「文は変化に錯綜す」とは言っても、文は白と黒の傍点で一対になるように書かれている。では、この「錯綜」は何によってもたらされるかというと、それが返り点と送り仮名なのである。だから、梅園が指示した通りに訓読すれば、読み手の頭脳は錯綜し、あたかも霧の中を手探りで進むような混迷に陥ることになる。『玄語』が長い間、学者の頭脳を混乱に陥れてきた理由は、これである。 また、「精体」のように前の語が後ろの語を形容する場合も多々あれば、「天容」のように後ろの語が前の語を形容する場合も多々ある。前者は「精なる体」を示し、後者は「容るるところの天」を示している。 『玄語』の解読においては、このような語法に習熟することが要求されるので、二語または四語の熟語や文が、どのような語法を持っているかを解明することが、解読の鍵となる。 |