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混気体図のあと、本文が続いてこの「混粲気体図」が出てきます。「混」は「混成」と同じで「統合されたもの」という意味です。 逆に「粲」は「粲立」と同じで分離したものという意味です。「混気」は、意思・意図・行為などのように精神の機能が統合されて いないと出来ないことをするときに必要になります。 「粲気」は、活動性を意味する「神」と持続性を意味する「本」に分けられています。彫刻家が一心不乱に創作に取り組んでいるときを 思い描いてください。「混気」と「粲気」がともに充実しています。下の「混体」は五体のこと、「粲体」は内臓のことです。 これらすべてが整っていないとひとつのことに集中できません。 注意しなければならないのは、小冊物部が書かれたのは安永四年で、ちょうど解体新書の出版年と同じです。つまり、梅園は杉田玄白の解体新書を読む前に「小冊」を書いていたわけですから、解体新書で「膵臓」と書かれているものは、漢方医学の名前のまま「脾臓」に成っています。「膵」は玄白が作った文字であり漢字にはありません。 また、漢方医学は西洋医学のように解剖学や性理学を基礎にしていませんので、「肝」とあっても解剖学の肝臓(liver)を意味しているわけではありません。漢方医学には独特の実証概念があり、ずいぶん有効なものですが、その漢方の臓腑論を「条理」によって分類整理しようとしたのですから、いったい何を書いているのかわからなくなります。 人間の心の分析も、安定した身分社会であった江戸中期と、西欧型競争社会にある現代日本では、人情にずいぶん違いがあり、その考察は煩雑を極めます。晩年、麻田剛立と臓腑の条理敵理解についてずいぶん議論したようですが、剛立は、最後にはさじを投げてしまっています。書簡に、「何分にも条理の義は先生にお任せ申しそうろう」と書いていますが、平たく言えば「分からないから、私は関わりません」ということです。 |