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「天人給資図」とは、「天が地上に供給し人類がそれを糧とする」という意味の図です。この図の「人」は小生物類まで含んだ意味での「人」
ではなく人間の意味だと思われますが、この図が「小冊人部」でなく「小冊物部」に属していることを考えますと、環境世界の主体としての
小生物類まで含んでいる可能性もあります。いずれに解釈しても意味は通るのですが、人間以外の生き物を考慮しているとしたら「男」「女」
という表現はしないと思います。 右端の「天給」は「自然は供給する」という意味です。供給するものに2つあります。活動性と物質です。つまり「神」と「物」です。 その反対側には「人資」と書かれています。「人は資(と)る」という意味です。自然が供給したものを人が獲得するわけです。たとえば、 太陽は光と熱を供給します。人はそれを明るさ・温かさとして獲得します。自然の光と闇は、人にとっては昼と夜、夏と冬になったりします。 自然の活動性は人の活動性に成り、自然界の物質は、人の肉体に成ったりします。つまり、梅園がこの図で示していることは、 人間が獲得しているものは自然にあるものだと言うことです。川があるから川遊びができ、海があるから海水浴ができ、山があるから 登山ができ、宇宙があるから天体観測ができるわけです。 人間が獲得するものは、はじめから自然にあるものです。それを人間が人間に都合よく使っているに過ぎません。その点では、鳥が巣作りを するのも、ヤドカリが貝の殻に入るのも、道理は同じです。自然科学を手に入れた人間は、何でも思い通りになると傲慢になっていますが、 それはとんでもない勘違いです。 科学技術は人を傲慢にし、母なる自然を壊すように成りました。そうすると、自然は人を飲み込んで壊れていきます。自然との共存を もっと慎重に考えなければなりません。 |