
|
その名前の通り、動物と植物を大分類した図です。「条理」が妥当するのはこの図くらいまでではないかと思っています。 いちばん外側の円の中の文字を中心に置いてふたつふたつに分割して行くことも出来ますが、何処かで無理を生じると思います。 生物の世界は、梅園自身が「変化極まりなし」と書いているように、生存の環境に応じて多様に変化するものなので、 二分法の分類には限界があります。 しかし、これは、山田慶兒氏が批判したように梅園の哲学の破綻なのではありません。 種の分類において梅園の二分法があるところで限界に達したとしても、 生物が多様に変化しながらその環境世界(梅園の用語では「天地」)に生きていることに違いはありません。 末木剛博氏が指摘したように、梅園は条理の客観性を仮定にとどめており、生物の世界におけるその妥当性を探るために分類をしたのであって、 条理が打倒しなければ、そこから先、あるいはそれより内部は、条理が打倒しない自由な変化の領域になります。 それでも、生き物が地球に存在すること、生きるためには太陽の光と水が必要であること、時間と空間の中に生きていること、 常に「今中」(こんちゅう。いまとここ)に存在すること、世代交代しながら存続していること、 生命と感覚と身体を持っていることなどにおいては「条理」に適っています。 論理というものは、それが妥当する範囲で有効なものであって、打倒しない領域にまで押し広げると無理を生じます。 しかし、無理を生じるかどうかは検証しないとわかりません。この図においては「条理」は適合していると私は判断しています。 |