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この図は「人」つまり環世界主体を中心に描かれています。下の「体」(図では正字の「體」)は、生物の多様な形態すべてを意味しています。決して人間の体のことではありません。蟻やムカデのような「体」もあれば、ミミズやカタツムリのような「体」もあります。魚や鳥もそれぞれの「体」を持っています。それらすべてが「体」なのです。 梅園は、『多賀墨卿君にこたふる書』の中で、 古人はもと地の貌(ぼう)を磅礴(ほうはく)というに対して、天の貌を混淪(こんりん)といいしなれど も、今ここに混淪というは、天地をくるめて物となし、神の鬱浡(うつぼつ)に対して形容 せる言葉なり。さる程に、各々成就の上にていえば、蝦の小むずかしきかたちも、蛞蝓(かつゆ。なめくじ)の太平なるなりも、皆、己々が混淪なり。 Although the ancients described the appearance of heavens as "konron" in contrast to the rough appearance of the earth, here I mean by it chaotic content, an object which comprises heaven and earth, in contrast to the dynamic flux of spirit. Every particular thing, be it a tiny wriggling shrimp, or a slow slug, is itself a chaotic content. (translated by Rosemary Mercer) と書いています。つまり、地球も天球も太陽も月も、そして地球のさまざまな生物も、形を持って活動していることにおいては同じだと考えています。大規模構造群である天球・天体類と、小規模構造群である個々の生物は、その存在様態と活動様態が排反事象を形成しています。価値の優劣はありません。そのことを梅園は、「小冊・人部」に次のように書いています。 13048: 成れば則ち大小は気物を有して、而して其の勢は相い張る。 13049: 立てば則ち彼此は一一を反して、而して其の勢は相い敵す。 と書いています。意訳しますと、 13048: 成立すれば必然的に大規模構造と小規模構造は、無形のもの・有形のものを有して排反事象を形成する。 13049: 存在すれば必然的にあちらとこちらは排反事象を形成して、その勢力は一対一に拮抗する。 また、総論部「本宗」にこのようにも書いています。 00290-1: 故に、成れば則ち各は執る有りと雖も、而も眇忽は亦た能く大物と勢を張る。 「眇忽は亦た能く大物と勢を張る」とは、小さなミジンコだって大宇宙と一対一に張り合っている、ということです。 これまでの梅園研究では、ユクスキュルの環世界論との関係など、誰も考えていませんでした。戦後日本では、イデオロギーが学問を押し倒していたのです。 左の「意為図」の中央の「人」も環世界主体のことですが、人間主体を示していると考えたほうが分かりやすいです。人間には人間の環世界があります。天地には天地の道徳があり、環世界主体には環世界主体の、人間には人間の道徳があります。梅園は、以下のように書いています。 01307: 馬なる者は、遠くに行くを有す者なり。 01308: 牛なる者は、重きを負うを有す者なり。 01309: 馬なる者は、遠きに行くを行う者なり。 01310: 牛なる者は、重きを負うを行う者なり。 01311: 乃(すなわ)ち牛馬の道徳なり。 同様に、太陽は昼夜を換え、季節を巡らせるのがその「道徳」であり、月は、闇夜を照らすのがその「道徳」です。これを人間のモラルの意味に取っていたのがこれまでも梅園研究でした。中国古典とも現代日本語とも語感と意味がまったく異なるのです。 ただし、「小冊・人部・言動」を読みますと、ここでは主に「人」を人間として扱っていることがわかります。 |