108b.清濁図一合(裏)(せいだくずいちごう) 校異なし
109. 素色文彩図(そしきぶんさいず) 校異なし

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 右は、光を通さない存在を示しています。

 左は、梅園の色彩論を示している図です。色彩そのものは光の反射と吸収によるものですから「濁」と書かれています。 色彩が光の反射と吸収によるものであることは梅園は知っていました。

 『玄語』の「色」(しき)は、太陽の光のことですから、現代の用語では太陽から発せられる電磁波です。「暗」と「夜」は、 同じものと思われるかもしれませんが、「夜」は、地球によって太陽の光が遮られた状態での暗さです。 「暗」は太陽の光を反射するものがないために生じる暗さです。梅園や麻田剛立は太陽系の惑星の光からそれくらいのことは知っていました。
 「昼」(図では正字の「晝」)は、大気の中で太陽の光が散乱することで明るくなる現象を言います。むろん、上空には青空が広がります。 「明」は、太陽そのものが発する明るさで、見ると目を痛めます。そのため太陽の観測では特殊なフィルターを使って光を弱めますが、 レンズに炭を塗って太陽を観測していたガリレイは、晩年は視力を失ってしまいました。

 私たちが色(いろ)と言っているものは、左下の第三象限の「彩」のことです。白から別れているのは、いわゆる暖色系の色で、黒から別れているのは寒色系の色です。梅園の色彩論はゲーテのそれによく似ているのですが、まだそれを論じた人はいません。

『玄語』本文を「黄」で検索すると、たとえば、

08311: 日体の白は〉地気の黒に隔つれば則ち赤なり〉而して
08312: 黄と赤とは〉隔の厚薄に由る〉

というような文が出てきます。08311は夕焼け・朝焼けの赤です。ゲーテと同じように、太陽の光で自然界の物の表面に現れる人、あるいは、大気の層を通過することによって現れる色などを問題にしているのであって、光の分光などはやっていません。梅園は、太陽の光は、地上の物体の表面に色彩を撒いている、というような表現をしています。


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