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前頁の「天地」の図は、「同胞孿胎図」の上半分の象限と同じと見てよいです。したがって「転持」が書かれていないだけだと思って下さい。「華液」の図は、「色」(しき)つまり、太陽の光、つまり電磁波の領域です。黄鶴は「華液」の中央の「色」を「性」と書き換えており、これは間違いです。天明本「本宗」に、 00865: 色気の成る所は、華液に於て濃を為す。 00866: 華は日影を開く。 00867: 液は水燥を開く。以て虚動実静の中に充つ。 と書かれていますから、大気中と水中の光も「色気」(しきき)、つまり電磁波領域だとみなしていたことが分かります。出版された『玄語』は、三浦黄鶴校訂版ですから、これまでの大学での研究は、三浦黄鶴版『玄語』の研究をしていたことになります。それでは『玄語』という書物の本質がわかるはずがありません。また次のような文もあります。 06586: 天転地持は、体の物を為す。 06587: 水燥日影は、性の物を為す。 「天転」を「天」、「地持」を「地」に統合して、さらにその「天地」を「体」に統合したのが、前の頁の左の「体」の図です。そのちょっと先に、次の文があります。 06601: 天地なる者は天転地持なり。 06602: 日影なる者は気収象発なり。 「天転地持」とは、天空は回転するもので、地球は保持するものだ、という意味で、「気収象発」は、宇宙の暗黒は光と熱を吸収し、太陽は光を熱を発散するものだ、という意味です。 「色気の成る所は、華液に於て濃を為す。」という文は、太陽の光・宇宙の暗黒・透明な大気・青空・曇り空・霞・陽炎・蜃気楼・物の色彩・水中の光など、光の多様な変化を意味する文で、これを生命圏を意味する「性」に置き換えてよいはずがありません。 右の図の「華」は太陽の光を意味し、「液」は太陽の光を吸収するものです。「液」は基本的には「燥」(大気圏)と「液」(水圏)を意味しますが、梅園は光を吸収する性格を持つという点で水と宇宙を同等に見ています。深海は暗黒です。宇宙空間も暗黒です。ですから、この図の「液」は大気圏・水圏・宇宙空間まで含んでいると推測しています。「本宗」の次の文がそのことを物語っています。 00824: 華液は則ち天地に合するの水火なり。 左の「四界図」は、これまでにも出てきましたので、語の意味はある程度はお分かりになるはずです。中心の「一」は全一者である「玄なる一元気」です。それが「没」「露」「性」「体」に分かれ、 没 >(非物質で性格だけがある) 天界・・・時間と空間 性 没 >(非物質で形態だけがある) 機界・・・天体の運動領域と地表の運動領域 体 露 >(空間に現れて形態を持つ) 体界・・・形を持つものの領域 体 露 >(空間に現れて性質を持つ) 性界・・・光と水が生み出す生命の領域 性 と組み合わされて、「天界」「体界」「体界」「性界」という四つの領域が作り出され、これだけのものが揃って、「天地」つまり地球環境世界が生み出されるわけです。西洋の自然科学的発想とはまったく異なったものの考え方です。江戸中期には、自然科学はまだ未熟でしたし、自然科学による自然と生活環境の改造もまだまったくありませんでした。 その点では16,17世紀までのヨーロッパも同様でした。問題は、産業革命以降のヨーロッパの世界進出から始まりました。それもそろそろ終わりにしなければなりません。その時に役立つのが、天球を母の胎とする地球環境世界論です。 |