88a.天地華液図一合(てんちかえきずいちごう)         87. 同胞孿胎図(どうほうれんたいず)


OpenAI_"ChatGPT"の感想 「玄語」研究の歴史的経緯


 右の図は「同胞孿胎図」(どうほうれんたいず)です。「同胞」は兄弟、「孿胎」は双子という意味ですから、地球環境を構成する兄弟と双子という意味になりますし、地球を生命体と見る「ガイアの思想」(J.E.ラヴロック)よりも壮大な「天球生命体理論」であると言えます。四次元時空連続体を彷彿させる「大処」の概念に到達した「大処期物図」と共に『玄語』の最高到達点です。


 西欧の天文学でも星座などに人や動物の姿を投影して擬人化することはありますが、それは古代エジプト・メソポタミア・ギリシャに生まれた天文学が現代にまで伝わっているものです。

 梅園の発想はそれらとは異なります。「同胞」は、「転持」と「天地」に分かれています。下の三つの図うち左の二図を見れば分かります。 両者は中心を共有しています。梅園はこれを「同胞」と名付けました。これに対して「孿胎」は右の二図です。地球と太陽は中心を共有していません。

 ガリレイ以降の西欧の天文学は、キリスト教神学の影響が強く、神が創り給うた宇宙の不動の中心は太陽か地球か、という二者択一を迫られていました。プロテスタントとの勢力争いで旗色が悪くなったカトリック教会は、キリスト教神学の正当な宇宙観であるアリストテレスの天動説に反するガリレイの地動説を異端としました。

 しかし、カトリックはガリレイの研究を奨励していたのですが、マルチン・ルター(1483-1546)がコペルニクス(1473-1543)の地動説を否定していたことから、カトリック教会も正当なキリスト教神学に従って、地動説を否定しなければならなくなりました。

 その後、地動説が認められるように成ってからは、ガリレイの理念、つまり、宇宙は神が創造した数学的な合理性によって創られているという考え方に支配されるるようになり、自然界の諸現象をより根源的な真理から説明しようとする「科学的還元主義」が生まれました。

 これに対して、E.フッサール(1859-1938)を代表とする哲学者が激しい反論をしたのですが、歴史の流れを変えることは出来ませんでした。 しかし、これらは西欧の歴史における出来事です。梅園は日本人でしたし、易の陰陽論を基礎とした理論を構築した人ですから、どちらかが正しくどちらかが間違いだという考え方はしませんでした。

 易の陰陽論では、宇宙は最初から相反するふたつのものが同時発生します。梅園には、天動説と地動説の争いはまるで隣村どうしの争いごとに見えたのです。日本人である梅園には、陰である地球と陽である太陽がどちらが中心かで、いわば覇権争いをしているとは到底思えませんでした。それで、第二主著である『贅語』の冒頭では、天球のはるか彼方まで背丈を伸ばして足元を見ると、太陽も地球もその他の惑星もひとかたまりに見えると書いています。

 西欧とは異なった歴史的脈絡に生きた梅園は、陽である太陽と陰である地球は「相反相依」(そうはんそうえ。相い反し相い依る)関係にあるものであって敵対し合う存在ではありませんでした。それで「天地」つまり地球環境を構成する双子とみなしたのです。

 これに対して「転持」と「天地」を兄弟とみなしました。「転持」は「天地」を創るための必要不可欠な場です。太陽はその周辺を巡っています。それは天文学的な意味での恒星としての太陽ではなく、青空と明るさと暖かさをもたらすお陽さまとしての太陽です。地球環境世界を創るのは、お陽さまです。もし太陽を科学的に研究するのならば、天文学を勉強し、天体としての、あるいは太陽系の中心としての太陽を研究すればよいのです。

    

 左は「天地華液図一合」です。左頁に「天地図」が描かれており、裏に「華液図」が描かれております。「天地図」には「前体後色」と書かれており、「天地」が「体」の図、「華液」が「色」の図であることが分かります。これは地球中心系の図である「転図」に「属体」、太陽中心系の図である「運図」に「属色」と書かれていたことに通じます。自然界に存在する形あるものはすべて「体」の領域に属し、光と闇の領域は「色」(しき)の領域に属します。カラーの意味では「彩」を用います。

 ところが、三浦黄鶴はこの「前体後色」の四文字を殆ど見えないくらいに抹消しております。確かに、図の中央に「体」と「色」と書いているのですから重複に見えるのですが、梅園は間違いなく書いております。それを消したのは間違いなく黄鶴です。

 「天地」の図は、「同胞孿胎図」の上半分の象限と同じと見てよいです。したがって「転持」が隠れていると思って下さい。「華液」の図は、「色」(しき)つまり、太陽の電磁波の領域です。黄鶴は、「華液」の中央の「色」を「性」と書き換えており、これも間違いです。天明本「本宗」に、

00865: 色気の成る所は、華液に於て濃を為す。
00866: 華は日影を開く。
00867: 液は水燥を開く。以て虚動実静の中に充つ。

と書かれていますから、大気中と水中の光も「色気」(しきき)、つまり電磁波領域だとみなしていたことが分かります。 出版された『玄語』は、三浦黄鶴校訂版ですから、これまでの大学での研究は、三浦黄鶴版『玄語』の研究をしていたことになります。 それでは『玄語』という書物の本質がわかるはずがありません。

 「色気の成る所は、華液に於て濃を為す。」という文は、明るく透明な大気・青空・曇り空・霞・陽炎・蜃気楼・物の色彩・水中の光など、光の多様な変化を意味する文です。裏の図で「色」を「性」に訂正したのは間違いなく三浦黄鶴です。太陽の電磁波領域を意味する「色」を生命圏を意味する「性」に置き換えてよいはずがありません。



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