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「地冊・没部」すなわちこの地球環境における「物質界の非物質領域」は、「天界」「機界」「体界」「色界」の四つの領域から出来ていると梅園は考えました。私は、全世界盤『玄語』では、この領域という語を'domain'と訳しました。'field'でもよいと思います。他に、region, area, field, territory, regime、などがありますが、どれが適当かはまだ分かりません。 「天界」は、時間と空間のことです。『玄語』では、時間を「宙」、空間を「宇」と言います。以前、「宇宙」を'universe'と訳した人が居ましたが、これは誤訳です。「宇宙」は「空間と時間」のことです。'universe'の訳語として「宇宙」という語を作った人が明治時代に居ましたので、その訳語が作られたあとの日本語で使われた「宇宙」を'universe'と訳すのは正しいのですが、江戸時代はそのような意味で「宇宙」という語を使ってはいませんでした。ことに『玄語』は一語一義を原則としていますので、「宇宙」は'time and space'と訳さねばなりません。 「機界」は、地球環境を構成する基本の運動のことで、基本的には天体の回転と、地球重力圏で起きる大気の上昇下降の運動です。天体の回転が起きる領域を「転圏」といい、上昇と下降が起きる領域を「持圏」(じけん)といいます。「機」は両者を統合した概念です。 その下には「体界」があります。形の領域のことです。形にはさまざまなものがありますが、基本的には天球や地球のような球体構造と、地上の動植物のような形があります。また、川の流れのような蛇行も含まれます。『玄語』の中には「塊歧邪曲」という意味不明の語があって、理解するのに長い年月がかかりました。「塊」は球形のことです。ですから天球や天体・地球の形は「塊」です。手毬(てまり)のような丸い形のものも「塊」です。ですから、梅園は、地球のことを地毬とも書いています。 「歧」は、枝分かれしたもののことです。つまり、多分岐形です。動物は手・足・頭・尾と分かれており、植物は無数に枝分かれしていますが、多分岐形であることに於いては同じす。「邪」は、蛇行のことです。川の流れや山の稜線(尾根)は梅園の分類では「邪」になります。「曲」は鳥などの自由な飛行曲線のことです。風によって舞い上がる木の葉やタンポポの種、ひらひらと舞う蝶々が飛ぶ軌道は「曲」です。 『玄語』の「性界の冊」の「日影」の冒頭に次のように書かれています。天界・体界・機界・性界の順に説明されています。図の「色界」が、文では「性界」になっていますが、図の「色界」は文の「華」のことです。これは太陽の光の領域のことで、科学的に言えば、電磁波領域になります。この「華」と地球の水圏が融合した領域を「性界」と言います。一言で言えば、生命領域のことです。 07985: 宇宙は気なり〉本なり〉之 天界を為す〉 07986: 天地は物なり》根なり》之 体界を為す》 07987: 転持なる者は〉其の気 能く物に体す〉故に精なり〉之(これ)機界を為す〉 07988: 華液なる者は》其の物 能く性を見す》故に英なり》之(これ)性界を為す》 私は、「本宗」冒頭の「物は性を有す」を「地球環境世界は宇宙始原の本性を内包する」と訳しました。始原の本性は、この生命世界において内包されています。左半分の象限は、地球環境世界を構成する運動をマッピングしています。第二象限の「気」は形なきものです。それが天球・天体の回転運動である「転」と、大気の上昇と下降の運動である「持」に分けられています。 この「転」と「持」だけをマッピングしたものが「転持図」ですが、着地点に居りてくる垂直離発着型の回収型ロケットや、宇宙エレベーター、気球による成層圏までのニアスペース旅行などを考えますと、宇宙ロケットまでもが、ニュートン型から梅園型に変わっていく次代が来たと感じています。 第三象限の「形」(けい)は、地球環境を構成する基本形で、「直」が大気の上昇と下降の線、つまり、地球の重力線に近似した形になります。梅園は「地冊・没部」の次の二行にそのことを書いています。 06466: 円なる者は円にして円〉其の形は毬の如し〉無垠は以て其の大を極む〉 06467: 直なる者は直にして円〉其の形は栗毬に比す〉 訳しますと、次のようになります。 06466: 天球の形は最初から球形である。果てしなく広がって極大の大きさになる。 06467: 上昇下降の直線運動は、地球全体を見れば球形になる。その形は栗のイガのようだ。 後で出てくる「転持図」の昇降運動領域(持圏)の重力線に似た線は、ニュートンが考えたようにどこまでも伸びる線ではありません。ここには、西洋人と日本人の考え方の違いがあります。梅園は、天球・天体の円運動と、大気の上昇と下降の運動を「反」の関係で捉えていますので、両者が接触することはありません。私は梅園の「反」を排反性の原理と呼んでいます。排反性の原理で考えないのであれば、ニュートンが考えたようにリンゴが落ちるのも月が回るのも基本的には同じ運動だと看做せます。 ニュートンは、ふたつの運動を数学的に一意化しました。そこからはロケットがその技術的対応物として生まれました。梅園は大気圏の昇降運動と天体の回転運動は絶対別のものだと考えました。両者は宇宙の根源の論理で分けられているからです。そこからは、宇宙エレベ |