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次は、各粗居各精図一合です。「各粗は各精に居るの図一合」と読みます。平たく言えば「それぞれの物質・物体は、それぞれの精妙な仕組みの中に居る事を示す図」ということです。これもワンペアの表裏一合図です。 「それぞれの物質は、それぞれの場に居る」ということを具体的に言いますと、例えば海は、地球の巨大な凹みに居ります。凹みは空間です。空間だから海水が貯まるのです。そこには魚類・甲殻類・サンゴなど、多様な海中生物が居ります。それらは海水よりは「粗」であるものです。ですから、水とのあいだに抵抗を生じます。だから、泳げますし、水で呼吸ができるのです。 素粒子の粒子性と波動性を例にすれば、粒子としての素粒子は、波動としての素粒子の中にいる、ということになります。物質の根源がそうなっているのですから、それから組み立てられる自然そのものもそうなっています。たとえば、空気中を見てみますと、空気は空間の中にあります。空間そのものは本来は何もない真空の状態ですが、酸素や窒素・二酸化炭素・水蒸気などによって満たされていて地球の引力で大気圏として保持されています。そこには、陸上の植物、つまり草花や樹木や地衣類が生き、昆虫や動物・鳥類などが居ます。 何も無い真空の空間に比べれば、大気を造る気体は「粗」なるものです。その中に生きる生物はどれも空気よりは「粗」であるものです。だから、草木は風に揺れるし、鳥は空を飛べます。空気抵抗があるからです。水の抵抗で泳ぐのと、空気の抵抗で空を飛ぶのは、道理は同じです。だから梅園は「魚は水の鳥なり」と書いたのです。空気は水に比べれば密度が低いのでおのずから鳥の翼は大きくなり、身体は軽くなります。水は密度が高いので、魚のヒレは小さくなり、亀やクジラでも泳ぐことができます。 おのおのの「粗」なるものはおのおのの「精」なる場に適応して存在しています。同じ理由で、天体類は宇宙空間を高速で移動しています。抵抗がないので飛ぶための翼は要りません。いくら重くてもどこかに落ちることはありません。飛ぶためのエネルギーを補給する必要はないので、酸素も栄養も要りません。 「各粗居各精」(各粗は各精に居る)とは、それぞれの物質・物体は、それぞれの場に居る、という意味です。それをこういうシンプルな図で表現したのですから、当時の人々に理解を求めるのは無理だったでしょうし、ヘーゲル弁証法やエンゲルスの自然弁証法で解釈するのも無理な話です。そもそもヘーゲルは梅園の『玄語』の八十年後に書かれた書物です。何もあとから出てきた思想になぞらえる必要はなかったと思います。結局、戦後の梅園研究は、ソビエト科学アカデミー極東文化研究所の日本思想史の解釈に思想的に追随しただけに過ぎませんでした。 なお、この図は「動天地図」と「静天地図」とも関係するのですが、それはこのふたつの図を解説するときに説明します。 |