14.天神天地図(てんしんてんちず) 校異なし
15.神物剖析図(しんぶつぼうせきず) 校異なし 拡大図

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 次のページには「天神天地図」と「神物剖析図」があります。「天神天地図」は「神物剖析図」の第二円までを一つの図にしたものです。「神物剖析図」には、

 天神は乃ち天冊に説く所
 天地は乃ち地冊に説く所

と書かれています。「乃ち」は「すなわち」と読みます。「天冊」は「活部」と「立部」の両部に分かれます。「地冊」は「没部」と「露部」の両部に分かれます。体系図を見ますと、「本宗」の下に「天冊」と「地冊」が属し、「天冊」の下に「活部」と「立部」の両部、「地冊」の下に「没部」と「露部」の両部が属していることがわかります。つまり、この図が判れば、地上の諸存在を除けば、『玄語』は概略わかったことになります。以下、簡単に『玄語』の全体系を説明します。

 本宗  ・・・総論部
 天冊活部・・・自然の諸範疇と範疇内の活動
 天冊立部・・・自然の同一性と動的平衡
 地冊没部・・・自然的運動の基本形態と時間と空間
 地冊露部・・・天体論・天球論・地球論・気象論
 小冊人部・・・地上に存在する動物類と人類
 小冊物部・・・地上に存在する動物類と植物類および鉱物類
 例旨  ・・・凡例

 こういうふうに現代日本語に訳すと分かりやすくなりますが、訳さないと何のことか判りません。現代日本語は、明治維新以降に主に英語の翻訳後として作られた人工言語です。日本国で自然発生した言語ではありません。ただし、そういう意味では、漢文も自然発生した日本語ではありません。その名の通りあくまでも中国の漢の時代の文ですから、中国の古典です。それを返り点と送り仮名で動詞が後ろに来る日本語の文法に巧みに取り入れたものです。返り点と送り仮名は、後藤芝山(1721-1782)が定めた後藤点が広く使われていました。他には貝原益軒の益軒点などがありました。江戸時代の学者は学術用語として漢文で本を書いていましたが、梅園は独自の訓点法を用いて、二行連(二行一対形式)で『玄語』全編を書いています。この梅園の訓点法に従って『玄語』の記述法を解明して出版したのは三浦梅園資料館の開館記念事業の一環として出版された『玄語』(上下二巻)だけです。他にはありません。

 「天冊立部」は、自然の同一性(あるいは定常性)と動的平衡を語るところです。動的平衡は生物学者の福岡伸一(1959-)氏が提唱した概念ですが、梅園は「自使然」という言葉で類似の現象を示しています。私達は、英語の'nature'の訳語として「自然」を使います。「自然」は「自ずから然る」という意味で自然の普遍性・定常性を示していますが、梅園はそれに対して変化する自然として「使然」(シゼン)を用います。「使然」は「然らしめる」と読みます。自然と使然は「然」の一文字が共通しています。こういう場合、梅園は共通する文字で語や文を束ねます。自然と使然を束ねますと「自使然」となりますので「定常性を保ちつつ変化する自然」という意味になります。つまり、動的平衡です。初期の稿本では「自然而使然」(じぜんにしてしぜん)と書いていましたが、思考が煮詰まるに連れ、文字の重複を避けるようになり、後世の研究者には難解な用語になりました。もっとも、『玄語』に難解でない用語はひとつもありません。

 動的平衡とは、絶え間なく自らを壊しながら作り直すことで定常性・恒常性を保つ生命体のあり方のことですが、生命は個体の内部でも、世代交代においても、それを示しています。 梅園は、生物も含め、自然に変化をもたらす要因を「鬱?の神」あるいは単に「神」と言いました。その活動には持続性が伴います。その持続する力を「本」(ほん。または「本気」)と言います。「本」は、本当・本物・本心・本性・本人などのように変わらないものを意味します。「本」が付く言葉で簡単に変わるものはありません。つまり自然界には、同一性を保持する力と、変化させる作用が同居していることを「自使然」という言葉で示しているわけです。この「自使然」が端的に現れるのが地上の環境世界、ことに生物の新陳代謝と世代交代であり、それを解説するのが「小冊」つまり地球環境の小規模構造としての地上の生物群です。

 梅園が「神物剖析図」と「天神天地図」を分けて書いた理由は私にはまだわかりません。「天神」の「天」は、範疇(カテゴリー)のことです。生物の分類に限って言えば、界、門、綱、目、科、属、種、という階層があり、種の中に個体があります。「神」は「天」の内部における活動性です。たとえば、蝶々はひらひらと飛び、羽を立てて止まります。これは蝶々という種に固有の活動性です。蝶々が水中を泳いだという話は聞いたことがありません。蝉は何年ものあいだ土の中で暮らし、成虫に成ったら騒がしく鳴いて子孫を残して死んでいきます。蝉の鳴き声は種によって定まっています。つまり、生物の活動性はそれが属する階層によって決まっているのです。この関係を「天神」と梅園は言いました。定まった範疇とその範囲での個体の活動性のことです。

 ただし、「天神」という概念は生物に限りません。天文現象にも当てはまります。太陽は光を放ち地上に昼をもたらします。季節では春と夏をもたらし、生命に息吹を与えます。つまり、その名の通り、太陽は地球環境に明るさや暖かさなどの陽の気をもたらすことがその「天」であるわけです。逆に、夜空は宇宙の暗黒であり、太陽を始め夜空の星々の輝きを吸収し、地上に夜の暗さと冬の寒さなどの陰の気をもたらします。また私達人類には、神秘と畏敬の念を呼び起こし、果てしない探究心をかき立てます。西洋の物質中心の考え方に馴染んでいる私達には分かりづらいのですが、物質文明が流入する以前に陰陽論で発想していた時代には、太陽はお天道さまであり、天照大神(アマテラスオオカミ)の現れでもありました。

 左象限の「天地」は、存在の場と存在するもののことです。存在の場としての「天」は、時間と空間であり、そこには運動のいろいろな軌道があります。「地」は基本的には地球のことです。むろん、地上に存在する諸々の生き物も含まれますが、それは別途「小冊」(地上の諸存在を論じる部)で考察されます。

 では、左の「神物剖析図」を解説します。『玄語』は「小冊」で論じられる生物類を除けば、すべてこの図に凝縮されていると言ってよいほどです。

 

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