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ワンペアの図がふたつ続いたあと、「混成図」とは逆の「粲立図」がふたつ並びます。「一一相吐粲立図」と「気物相吐粲立図」です。 「混成図」がふたつの円に描き分けられていて、「粲立図」がひとつの円の中に描かれているというのは、一見すると逆の感じがします。二図に描いた方が「粲立」で、一図に描いたほうが「混成」のような感じがします。もし梅園がタイトルを逆にしていたら誰もそれを疑問に思わなかったでしょう。しかし、図とタイトルのこの不思議な関係を指摘した人は、これまでの『玄語』の研究者にはひとりもいませんでした。 これは梅園に、存在の相対性に対する独自の考察があることによります。たとえば、ここに1本の棒があるとします。この棒を立てると、上と下に分かれます。真ん中を基準にしますと、半分は上、半分は下になります。この基準線を上にずらして上端まで移動させると、上端から下はぜんぶ下です。逆に下にずらして下端にまで移動させると、下端から上はぜんぶ上です。 つまりこの棒には、絶対的に上の部分とか、絶対的に下の部分とかはないわけです。基準をどこにするかで上下が決まります。磁石のN極とS極もそうです。1本の棒磁石を真ん中から切ると中央からN極とS極に分かれた2本の磁石が出来ます。その2本の磁石をまた真ん中から切ると、N極とS極に分かれた4本の磁石が出来ます。この切断の操作を繰り返すと磁石のどこにも固定的なN極、固定的なS極はないことがわかります。 一本の棒全体が上にもなりうるし下にもなり得ます。棒磁石はその全体がN極にもS極にもなりうるわけです。この全体をふたつに分けて描いたのが「混成図」です。したがって「混成」というのは、いわば可能態であって現実には存在しません。現実には上と下、NとSの両極が結合したものが存在します。この現実のあり方を描いたのが「粲立図」です。 「一一相食混成図」の下の二行分かち書きの右に書かれた「一一欠体」という文は「現実には存在しない」ということを意味しています。それが「体を欠く」の意味です。「相食具性」は、結合すれば正反対の性格を持ったひとつの現実的な存在になりますよ、という意味です。その正反対の性格は、陰と陽です。梅園は、陰陽からこざとへんを取った「?」と「昜」を使っていますが、同じ意味ですから、気にする必要はありません。 「気物相食混成図」も同様に推論できます。固定的に気的なものや固定的に物的なものは存在しない、つまり、固定的に非物質であるものも、固定的に物質であるものも存在しないということです。現実に存在するものは、非物質と物質が融合したものです。 これは、こんにち明らかにされている素粒子の粒子性と波動性と同じです。現実の世界でも極微の世界でも、固定的なもの・絶対的なものは存在しないのです。明るさがあれば暗さがありますし、青空があれば夜空もあります。 ふたつの「混成図」が、可能態を示しているのに対し、ふたつの「粲立図」は、現実態を示しています。磁石は、必ずN極とS極の結合として存在します。たとえば、「一一相吐粲立図」の中央の「性」は陰にも陽にも共通する本性を示しています。決してジェンダーのことではありません。陰には陰性が、陽には陽性が具わります。 総論部「本宗」に「具性は陰陽に走る」と書かれていますが、この「性」は英語で言えば"nature"のことです。たとえば、陰を女性とすれば、陽は男性になりますが、両者を統合した存在は「人間」であることになります。これを次のように図示すればわかりやすくなります。 男性性 / 人間性 \ 女性性ここでは「性」という語が共通しています。英語で書きますと、 male nature / human nature \ female natureとなります。human natureは、男性にも女性にも備わっていますが、男女を統合した人間は、現実には存在できません。これと同じ推論で、 動物性 / 生物性 \ 植物性と書けます。この場合「生命」が動物にも植物にも備わる"nature"になります。生物圏・動物圏・植物圏とししても良いと思います。この生物、動物、植物のことを梅園は「小物」と書いており、それを論じるのが「小冊」です。地球環境を構成する小規模構造と言えばよいでしょう。これに対して天体類や宇宙は「大物」と書いており、それを論じるのが「地冊」の「没部」と「露部」です。「没部」は、時間と空間および運動軌道、地球中心系と太陽中心系の相補性(相互補完性)を論じています。 つまり、「大物」は"Cosmic Scale"の中で存在するもので、「小物」は"Biological Scale"で存在するものです。Google AIにこのあたりのことを質問しましたら、 その視点は、梅園の「一即一一(いちそくいちいち)」という再帰的(リカーシブル)な世界観を、現代のシステム科学における「マクロ(大規模構造)」と「ミクロ(小規模構造)」の階層性として完璧に翻訳されていますね。 提示された『神物剖析図』を「宇宙の物理的・論理的な大枠(OSやハードウェア)」としての大規模構造と捉えるなら、その OS 上で動く「アプリケーション」や「個別のプロセス」に相当するのが、生態系や個体という小規模構造であるという整理は非常に明快です。 1. 大規模構造(Cosmic Scale):宇宙のOS 役割: 時空(宇・宙)を定義し、発動因子(神)と実体(物)の不並立な関係を維持する「場」そのもの。 図象の解釈: 『神物剖析図』の大きな円環は、重力や量子力学的な法則が支配する、全宇宙共通の「普遍的な条理」の写像です。 2. 小規模構造(Local/Biological Scale):生命のホロン 生態系・生命圏: 大規模構造が提供する「天容(場)」の中で、特定のエネルギーと情報の流れが自己組織化した、より高解像度なネットワーク。 個々の生物(人=エージェント): 昨日の議論にあった、独自の「環世界(写像)」を持つ主体。これらは大規模構造の「反(不並立)」のルールを継承しつつ、個別の生存戦略(意匠)を展開します。 3. フラクタルな連続性 梅園の凄みは、大規模構造を記述したのと同じ「不並立(NAND)」の演算子を使って、小規模構造(生命や心)までもが記述可能だと考えた点にあります。 マクロの「神/物」: 宇宙の物理法則と物質。 ミクロの「神/物」: 生命の「発動因子(遺伝情報や神経活動)」と「肉体(タンパク質の構造)」。 これらはスケールこそ違えど、論理的なホロン構造(全体と部分の相似性)によって地続きになっています。 4.「不並立」が繋ぐ諸科学 あなたの「実在の階層が諸科学の階層になる」という説は、このマクロからミクロへの解像度の変化を、 物理学 → 化学 → 生物学 → 社会学 という学問のグラデーションとして捉えるものですね。 大規模構造を扱うのが物理学・宇宙論。その中での「物立」の複雑化(自己組織化)を扱うのが生物学・生態学で、さらに高次のエージェント間の相互作用を扱うのが人文・社会科学。 この「小規模構造」への展開において、梅園が『玄語』の他の図象や記述の中で、「生命特有の複雑な意匠」をどのように大規模構造と差別化(あるいは統合)して描いているか、具体的な「文字」や「図」のヒントは見えてきていますか? と答え、最後に質問を返してきました。Google AIは凄いと思いました。 実は、梅園は、最後の質問にも答えようとしていて「小冊」の「人部」と「物部」を書いているのですが、安定した身分社会であった江戸時代と、西欧型競争社会である現代日本はあまりに違いすぎて、日本語訳を途中で断念しました。人間の内部構造(骨格や内臓)も論じているのですが、当時は漢方医学の時代で、現代の医学的知識とはまったく違います。解体新書が出版されたのが、安永四年で、梅園が安永本『玄語』を書いた年ですので、杉田玄白の造語である膵臓が「脾」になっていたりで、内臓の名称にも共通性がありません。漢方の「肝」は、現代医学の肝臓とは意味が違いますので、梅園がどういう立場から何を批判しているのかがわからないのです。 「気物相吐粲立図」は、「気が物を排除して天に成り、物が気を排除して大地になる」という意味です。上には天空、足下には大地があります。家には上に屋根があり天井があり、下には床があり基礎があります。木には根があり枝があります。人には頭と足があります。基本的にはすべてそうなっています。 自然は、すべて相反するものの組み合わせから出来ています。梅園はそのことを直感的に悟ったのです。それは三十歳の時、伊勢神宮に参拝して、両子の里に帰る途中のことでした。 |