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この図は、名状すべからざる「玄なる一元気」をふたつに切った図です。「玄なる一元気」を正反対のものに分離したのです。このとき「玄なる一元気」は消滅したのではなく、白と黒の二つの円に移行したのです。それによって、「玄なる一元気」とこの一合図が一対一に対応します。つまり、ページをめくるという動作がシェファー・ストロークに対応しています。 もっとも、梅園は、シェファーより140年早くこの論理を発見して「反」と名付けています。「反」はシェファーが言った「拒絶」(rejection)と同じです。シェファーのストロークから変数5個の公理系を作ったフランスの論理学者ジャン・ニコ(Jean Nicod, 1893–1924)の言葉で言えば「不並立」(incompatibility)です。梅園は、これを150年以上前に発見して「反」と言いましたが、図でストローク記号を使っていることでも150年先んじています。 文の中では、見えない演算子を使っていると解釈できます。( )を円の代用として使えば、図の中では小さな円の中に(宇)|(宙)となっている語が、文の中では縦書きで「宇宙」になっています。これはチャールズ・サンダース・パースの見えない演算子に対応しています。文の各行は、対形式になっています。これを二行連(カプレット形式)と言いますが、各行の間にも見えない演算子があるとみなせます。梅園は、 02367: 一は移りて二に居る。 03512: 一漸みて一一を開く。(漸みて=すすみて) 03513: 一移りて一一に居る。 と書いています。またこれの文の前に、 00088: 二の一に於けるも。亦た 00089: 一の一に於けるなり。故に 00090: 一にして二に伍す。勢は一一を成す。 と書いています。これは、全体と部分が、排反事象になることを意味しています。これらの前後の文を読むと非常に難解ですが、要するに言明不能な存在が下位の存在に移行していると書いているのですが、この移行は自然界で最も微細なもの、つまり、素粒子の粒子性と波動性に至るまで起きるかもしれません。 ここから自然界を構成するすべての自然物が「全一性」を持つことが保障されます。部分でありながら全体であり、全体であることに於いて全世界・全宇宙・全存在と同等の存在価値を持つことになります。私は、これを「等価性原理」と呼んでいます。これによって存在するすべてのものが全体子(holon)の性格を持つことが保証されます。 梅園にとっては、存在するすべてのものが同等・同格なのです。なぜならそれらは「玄なる一元気」から分かれ「玄なる一元気」を分ち持つものだからです。 本の綴じ目(中央の線)が一元気を切断し分離した線です。閉じれば綴じ目も消え、白黒の円も消え、玄なる一元気に帰ります。つまり梅園は本の綴じ線を論理記号として使用していたことになります。つまり、シェファーの棒記号と同じ機能を持つ記号として閉じ線を使っています。図の中では円に囲まれたふたつの「一」のあいだの細い線がシェファーのストロークと同じ機能を持っています。シェファーが棒記号に関する彼の論文を書いたのは1913年で、梅園全集が出版され全世界の主要大学図書館に寄贈されたのは1912年です。1913-1912=1 となります。棒記号を暗示しているようです。 ケンブリッジ大学やオクスフォード大学にも寄贈されたはずです。ネット上では、トロント大学・カリフォルニア大学・ミシガン大学に寄贈されたものが公開されていますので、確認できます。編者の藤井専随は、当時の日本に十数人しか居なかった文学士であり、この図の意味を見落とすほど凡庸な学者ではありませんでした。 ひょっとしたらシェファーはアメリカに行く途中、日本の東京大学に寄って『玄語』の図を見たのではないかと思うのですが、裏付けはありません。勘の鋭い人ならば、「経緯剖対図」や「一一精粗図」その他を見れば、図の中の細線が論理記号であることはわかるでしょう。「本宗」の本文の最後に漢数字で「一」と書かれていて、「一不上図」と書かれた白紙の図がありません。これも棒記号を暗示しているようです。 シェファーの棒記号は、"|"で示されます。もっともシンプルな表記は、p|q で、これは「pでないかqでないか」と読みます。これに符合させれば、この図は、●|○であることになり「白でないか黒でないか」と読めることになります。 バートランド・ラッセルは、この特殊な形態として、t|(t/t) を挙げており、これを # tはそれ自身を含意する。 と読むと『数理哲学序説』に書いています。tは、(t/t)を論理的に包含するのです。これは「経緯剖対図」の ![]() と同じです。違う点は、梅園の場合は、下位のふたつの「一」を「二の位」、上位の「一」を「一の位」として、位取りをしている点です。『玄語』にはこの二つの位しかありません。(注:t|(t/t)のストロークとスラッシュの使い分けはラッセルの『数理哲学序説』の表記法に従っていますが、ラッセルは基本的にはストロークのみを使っていたようです。) 要するに、梅園の場合は、下位のふたつの「一」を統合すれば上位の「一」に繰り上がるという組み込み構造を持っているのです。これを「入れ子構造」(nested structure)と言います。その組み込み構造の連鎖を示すのが「経緯剖対図」です。この連鎖は無限に続き、上方にも下方にも際限がありません。つまり、フラクタルなのです。 ![]() 私は、この「一」が、縦棒のストロークの対を成す横棒のストロークであろうと思っています。つまり、梅園全集の出版には、シェファーや英国王室の後押しがあったことが推測されます。 ![]() 梅園は「一」を代数として用いており、展開方向に「一即一一」、統合方向に「一一即一」と定式化しています。したがって、先のラッセルの t|(t/t) と同じく、一|(一/一)と書けます。この"|"を梅園は、「反」と書いており、シェファーは「拒絶」と言いました。記号はふたりとも棒記号を使っています。「一即一一」は、一反(一反一)と同じで、この「反」は拒絶(rejection)を示す論理記号の役割を担っていることになります。根拠となる文を挙げます。 00088-90: 二の一に於けるも。亦た一の一に於けるなり。故に一にして二に伍す。勢は一一を成す。 訳しますと、 00088-90: 下位の二と上位の一の関係は、同じく、一対一の関係である。だから、上位の一でありながら、 下位の二と同列に並ぶ。その対応は一対一となる。 シェファーの棒記号による論理演算は、電気的にはNAND回路として使われており、すべての電気回路はNAND回路に置き換え可能であることが証明されています。 最初の「一一欠体」は、「白は黒を欠き、黒は白を欠く」という意味です。わかりやすい例で説明しますと、硬貨の表には裏の模様はなく、裏には表の模様はない、あるいは、凸にはへこみがなく、凹にはでっぱりがありませんし、翼を持つ鳥には前足がありませんし、四足動物には翼はありません。 あるものを具えると、その反対のものを失います。肺呼吸をする生き物は空気中で生きられますが、水中では生きられません。逆に、エラ呼吸をする魚などは水中で生きられますが、陸上で生きることは出来ません。 或る特質を具えるということは、反対の特質を失うことでもあります。男性は子どもを産ませることは出来ますが、子どもを産むことは出来ません。女性は子どもを産むことは出来ますが、子どもを産ませることは出来ません。 現実に存在するものは、すべてそれぞれの特質を備えていますが、それは同時にそれとは正反対の特質を失うことでもあります。それらは基本的に陰の特質と陽の特質に分かれます。凸は用の特質を持ち、凹は陰の特質を持ちます。 典型的な例としては、太陽がもたらす昼の明るさは陽であり、闇夜の暗さは陰です。色彩で言えば白は陽の色であり、黒は陰の色です。以下、陽の特質を持つものと陰の特質を持つものを列挙します。 【陽の特質】 ・太陽の明るさと暖かさ ・青空と白い雲 ・上昇気流 ・陸上の生き物 ・夜空に輝く星や天の川 ・動物の雄(人間なら男性) ・喜び ・笑顔 ・その他多数・・・・ 【陰の特質】 ・夜空の暗さと寒さ ・雨雲と雨・雪・みぞれ ・下降気流 ・水中の生き物 ・光を放たない星 ・動物の雌(人間なら女性) ・悲しみ ・泣き顔 ・その他多数・・・ 列挙すれば際限がないのですが、自然界に存在するものは、基本的には白(=陽)のグループか黒(=陰)のグループに分かれます。この発想は、易(えき)の陰陽論をベースに梅園の思想が構築されていることを示しています。それが一対一の対応関係にあること、および、それらが自然界全体から一対一の均衡関係を以て分かれ出ていることをこの図は示しています。 梅園が好んで取り上げる例としては、動物と植物があります。動物は温かい身体を持って大地の上を移動でき、鳥類は空を飛びますが、ともに口から水と栄養を取ります。植物は大地に根を生やして水と栄養を吸い上げるために冷たい身体を持っていて移動できません。それぞれ正反対の性質を持っていますが、そうであるからこそ、互いに助け合って生物圏を創ります。 梅園の思考様式は、東洋人らしく易(えき)の陰陽論を基本にしています。したがって、中心をふたつ持つ「楕円思考」です。この「楕円思考」は、『東洋の合理思想』(法蔵館文庫)の著者である末木剛博東京大学名誉教授(1921-2007)の命名によるもので、西洋・インド・中国の論理学を網羅的に研究史たこの著者が日本文化に固有の思考様式として提案したものです。西洋の「正円思考」は、ぶつかり合う自己と自己の戦いが、結局は万人の万人に対する戦いを生んでしまいます。「楕円思考」は自己と他者が、ふたつの中心となって互いが共有する場を生み出すので、非自我中心的・相互依存的・相互扶助的となります。これが生命圏の本質だと私は考えています。 『玄語』は、既に見たように、今日のコンピュータと同じファイル構造(それに図の中の語と文の中の語をつなぐハイパーリンクがあります)で書かれています。梅園がなぜこの構成法に思い至ったのかは不明ですが、ヨーロッパではこの頃、機械式コンピュータが着想されており、チャールズ・バベッジ(1791-1871)が初期の歯車型計算機を発明しており、コンピュータの父と言われています。また、日本で開発され、現在でも開発が続いているトロンプロジェクトに通じるものがあり、ことにBTRON(ビートロン)の「仮身ネットワーク」は、『玄語』の内部構造にそっくりです。 開発者の坂村健東洋大学教授が梅園を知っていたはずはないので、両者は日本人の思考のDNAが生み出したふたつの相異なる業績として比較検討することが望ましいと思われます。ここから新しい日本人研究が生まれるはずです。むろん、砂漠の緑化や海水の淡水化に取り組んでいる研究者にも、日本人のDNAが流れています。 以下、余談ですが、或る人が、厳寒のアメリカでアメリカの航空会社の飛行機に乗って出発を待っていたところ、路面と車輪が凍りついていてスムーズに離陸できませんでした。この時、この旅客機の機長は、手順通りの操作を行い、それでも路面と車輪が凍りついたままだったので、地上整備員に連絡して氷を取り除くよう指示しました。この時、何事もなかったかのように二機の旅客機が飛び立ちました。JALとANAの飛行機でした。この二機の旅客機では、状況を察知した機長と地上整備員が、状況を共有して同時に動きました。パイロットは車輪と滑走路の状況を地上整備員に尋ね、地上整備員は氷を取り除く必要があると連絡し、すぐに作業に取り掛かりました。ここでは、機長の作業ルーチンが省かれています。 アメリカの航空会社の機長は、自分が存在する状況に対応して手順通りの操作をしましたが、彼の状況の中には地上整備員が存在していないのです。彼は機長としてやるべきことをやって、それでも離陸できなかったので、状況の解決を地上整備員に託したのです。ここには職業上の階層があります。機長の階層は上位にあります。この上位にある階層からの指示がないと、地上整備員は動きません。これはコンピュータの階層構造によく似ています。下位の階層は上位の階層からの指示がないと動作しません。 しかし、日本人が当たり前に持っている「楕円思考」では、機長の状況が地上整備員に受け渡されるわけではなく、飛行機を無事に離陸させるという共通の状況しかありません。そのため、場合によっては、地上整備員の判断で、機長の指示がなくても無事に離陸できるように作業します。両者が共有する状況は「何事もなかったかのように離陸する」ことです。 これが当たり前にできるのが日本人です。先進国では日本だけなのです。そして日本人のユニークなところは、それが稀な思考様式だということに気づいていないばかりか、凄いことをしているのに「何が凄いの? 普通のことでしょ!」くらいにしか思わないところです。あたり前のことをあたり前にやっているから、褒められてもなぜ褒められているのかわからない。これが楕円思考のユニークさです。 |