1.一不上図(いちふじょうず。いち、ずにのぼらず) 校異なし 

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It is a blank figure that means the whole envelopment cannot be expressed.
Therefore, nothing is written.

It is a logical expression of self-reference and falls into Russell's paradox.
However, it seems to be close to Proposition 7 of Wittgenstein's "Theory of Logic Philosophy".

Proposition 7
"Whereof one cannot speak, unless one must be silent."
("Wovon man nicht sprechen kann, daruber muss man schweigen.")

Zhuang Zhou said the situation that led to this perception was a trap.

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末木剛博によって、ラッセルのパラドックスにおちいる自己包越者であることが指摘されている。
梅園とヘエゲル (四・一・一) 一元気 (4)自己包越性を参照のこと。

ただし、ラッセルが通常集合の集合からパラドクスを導き出したのとは違って、梅園は「一」の中に「一」を含む

異常集合の集合から同様の結果を導き出している。
「一不上図」は「究極的な全体性は表現できない」という論理命題である。
梅園が「玄なる一元気」と呼んだ名状すべからざるものがこれである。

その自己包越性は、一瞬の時間にのみ成立するものではなく、全世界・全宇宙の全時間経過において成立する。その内部は進化する宇宙のごとく刻々と変化している。
ラッセルのパラドックスの最大の欠点は時間というファンクションを考慮していないという点である。

一元気の内部は活発に変化している。新しいものが内部でふつふつと湧いている。

しかし、一元気の外に飛び出すことは絶対にない。このことを梅園は「天冊活部」の冒頭でこう述べている。

1141-1142: 一は二を有す。故に芒笏の間、喪うが如し。而して能く浡浡として万開を有する者は徳なり。

何を言わんとしているかと言うと、要するに「玄なる一元気」は人間の合理的理性を超える存在であるが、それ自体はすべてのものを包み込んでボコボコと泡立つように生きている、ということである。

すべてのものを包み込んでボコボコと泡立つように生きている超越的存在、つまり万物の超越者としての全一者である。万有を包み込むその特性を「徳」と名付けたのである。

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