「一一即一」とすべきか「一一則一」とすべきか?


 末木剛博氏は、ここで「一即一一」「一一則一」としているが、これは、末尾に

(11)一即一一,一一則一,20,b

とあるように、『梅園全集』上巻20頁にこの用例があることに由来している。岩波日本思想
大系68「三浦梅園」の『玄語』原文(389頁上段)も同様に、「一即一一」「一一則一」が
用いられており、校異にはこの部分について何も示されていない。前者の「一即一一」につい
ては問題はないが、後者の「一一則一」については慎重な考察を必要とする。結論を先に言え
ば、これは「一一即一」を用いるべきであって、「一一則一」という用法は注釈として示すに
とどめておくべきものである。以下にその理由を述べる。

 まず写本939の当該箇所を見ると、やはり「一一則一」とされていることが分かる。


写本複写提供は五郎丸延氏による。

この写本の元になった版は、黄鶴(こうかく。梅園の長子)が版下本の制作課程で作ったもの
のひとつであると推測される。岩波版の「本宗」は版下本を底本としているので「一一則一」
とされている。これは、浄書本「本宗」の訂正を採用しているのである。浄書本「本宗」では
「一即一一」「一一即一」という対としてこの二用例が示されたあと、「一一即一」の「即」
字を「則」に訂正している。ただしいわゆる見セ消チであって、梅園がこの訂正に確信を持っ
ていたわけではないことが分かる。この訂正が間違いなく梅園自身のものであるかどうかも疑
う必要があるが、これは以下の類推からして、梅園自身の筆であると推測される。

1.『玄語』全体において「一一即一」の用例は、これ以外に「天冊」に二カ所見受けられる。
検索すれば

 3094: G0075U-016 一一即一》             写本939
 3364: G0082U-018 一一即一》二反合一》則其合者変態》 写本939

であり、浄書本に従った「本宗」のみ、全集版、岩波版、版下本、写本939ともに「一一則
一」とされているのである。この二用例は天冊のものであるから、安永本に由来するものであ
る。(テーブル表示の稿本の対応を参照のこと。)

2.従って、「一一則一」を採用した版においては、その版における三カ所の用例に不統一が
生じることになる。これは研究にとってはなはだ不都合である。

3.この不統一から浄書本「本宗」の訂正が梅園自身のものであることが推測される。なぜな
ら、梅園没後、版下本制作までの期間において浄書本「本宗」に筆を入れることができたのは
長男黄鶴のみであるが、もし黄鶴が訂正したのであれば、「天冊」の二用例も同様に訂正した
はずだからである。

4.従って、「本宗」の「一一即一」の「即」字の横に「則」と書き入れたのは三浦梅園その
人であると推測するのが妥当である。しかし、梅園がこの訂正に確信を持っていたのならば、
「天冊」の二用例も訂正したか、校訂を依頼したとされる黄鶴に訂正するよう遺言したはずで
あるから、梅園自身に確信がなかったと考えるのが妥当である。

以上の二点、つまり、確信を持った上での訂正ではなく、かつ、この訂正を採用するとひとま
とまりの著作の中に用例の不統一が生じるという点からして、研究用底本においては「一一則
一」を用いるのは妥当ではなく、これはあくまでも注釈に記すにとどめておくべきであると思
われる。

 なお、この点について、執筆者の末木剛博氏に、

 1.本文を訂正して、訂正の理由を注釈に示す。
 2.本文はそのままにして、注釈に校異を示す。

のいずれとすべきかとお尋ねしたところ、2.とすべきというご返事であった。


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