以下の文書には通信用に文字を代用したものがあります。以下、代用した文字を挙 げます。これらの文字の確認は、岩波文庫の『三浦梅園集』で行って下さい。 1.陰・・・これは、梅園の使ったものとは違います。梅園の「インヨウ」は、 「陰陽」から<こざとへん>を取ったものです。「昜」はありますが「イン」 がありませんので、「陰昜」となってしまします。 2.央々...本来は「央」に<つちへん>がついた文字です。 3.鬱渤...「鬱」はありますが、「ボツ」がありません。本来の「ボツ」は、 「渤」から右端の「力」を取ったものです。 4.その他、※になっているもの、表示されていないものなどは、『三浦梅園集』 で確認して下さい。 001: 多賀墨卿君にこたふる書(1.「習気」の論) 002: 003: 混淪鬱渤の義、お尋ね御座候。 004: 夫れ、人は天地を宅とし、居るものに候えば、 005: 天地は学者の最先講ずべきことに御座候。 006: 尤も、天文地理、天行の推歩は、西学入りして、段々精密にいたり候えども、 007: それはそれ切りにして、天地の條理にいたりては、今に徹底と存ずる人も承ら ず候。 008: かく広き世の中に、かく悠久の年月をかさね、かく数限りなき人の思慮を費や し、日夜に示して隠すことなき天地を、何ゆえに看得る人のなきとなれば、 009: 生まれて智なき始めより、ただ見なれ聞きなれ、触れなれ、何となしに癖つき て 010: これが己が泥(なず)みとなり、物を怪しみいぶかる心、萌さず候。 011: 泥みとは、所執の念にして、仏氏にいわゆる習気にて候。 012: 習気とれ申さず候わば、何分、心のはたらき出来たらず候。 013: 阿難はさとられしかども、前世猿にて有しゆえ、猿の習気やまざりしと申し候 。これよきたとえに候。 014: とかく人は人の心を以て、物を思惟分別するゆえに人を執することやみがたく 、 015: 古今明哲の輩も、この習気になやまされ、人を以て天地万物をぬりまわし、 016: 達観の眼は開きがたく候。 017: 其の習気とは、人は行く事をば足にてなし、拵ゆる事をば手にてなすゆえ、運 歩作用に手足の習気これあり。 018: さる程に、蛇の足なく、魚の手なき、どうやら不自由に思われ候。 019: 天は足なくして日夜にめぐり、造化は手なくして華をさかせ、子を給わせ、魚 をもつくり鳥をもつくり出し候。 020: もし己れに執するところ有り候えば、其の運転造化、甚だあやしむべき事に候 。 021: あやしむべき事にして、あやしむ人もなき候は、これも朝暮に見なれ、空々と して頓着なしに打ち過ぎるにて候。 022: 物の上よりして見るときは、 023: 天地も一物にして、水火もかく一物、草木鳥獣も各一物、我となり人となるも 、各一物にて候。 024: それを人には人癖つき候て、我にあるものを推して他を観候。 025: なずみ、やみがたく候。 026: それ故、人の癖には、何にても人になして、見もし思いもし候。 027: 子供遊びの絵本に、鼠の嫁入り、ばけ物づくしなどいうあるをみるに、其の鼠 を鼠のままに致しおき候えば、鼠本来の面目に候を、其の鼠を悉く人になし、 婿殿は裃大小、嫁子は打かけ綿帽子、のり物つらせ、徒士若党すべて人のよう に成し候。 028: 又、ばけ物の本を見るに、傘の茶臼にばけ、箒の手桶に変じたる図はなし。 029: ただあるとあらゆる物、目鼻手足出来り、とかく人の様なる物に化けざるはな し。 030: 涅槃像の図をみるに、その龍王という物は、衣冠正しき人体にて、その本体の 龍形は、火事頭巾かづける様に画きなしぬ。 031: かかる心を以て天地を思惟分別する程に、天には上帝、地には堅牢、風の神、 鳴る神なんど、形はさもいやらしく描きぬれども、足を以て身を運び、手を以 て技を出す。 032: さる程に、風は嚢に蓄え、雷は太鼓に声おく。 033: もし、誠に太鼓あらば、何を以て製するや。 034: もし誠に太鼓あらば何の皮にてはる事にや、いとあやし。 035: もしかからましかば、天も足なくてはゆかれまじ、造化も手なくては細工出来 るまじ。 036: 猶ちかきに引きつけていはば、すべて動物は牝牡有りて、草木には牝牡なし。 037: 牝牡なくて生々せざるは、動物の習いにして、牝牡なくても生々に事欠かざる は、草木の習いなり。 038: 己が習いをもちて、己れにあらざる物に押さば、いかで其の理に通ずべき。 039: 又、譬えをとりていわんに、火に意ありて水を思わんに、水いかがして物を焼 くらん、水いかがして者を燥かす覧と、己がかたにある物のみ推して、かれに なき所にもとめ、水も亦、意ありて水にある物を火に求めば、其の智力を尽し 、其の生涯を窮めたりとも知るに益はなかるべし。約をいるる事、※(ゆう) よりすという事も候えば、最もさとしやすき物がたり、又ひとつ申すべし。 040: むかし、何れの帝にてかおわしましけん、堺によき藤あるよしきこし召れ、勅 して九重(ここのえ)の内に移し裁しめ給いしに、帝、ある夜の御夢に、いと きよらなる女の打ちしおれる気色して、 041: 042: 思いきや 堺の浦の 藤浪の 043: 都の松に かかるべしとは 044: 045: と、打ちずんずると御覧じて夢さめ給い、花も故郷やおもうとて、ふたたび堺 に返し給いしとぞ。 046: これらの物がたりは、世に多き事なり。 047: 草木意なし、夢入るべき物にあらず。 048: 別れては馴れし故郷をしたい、過ぎてはこしかたをおもうは人の心にして、 049: 我が心の動く処、めでたもう花に感じ、 050: 常になれてもてあそび給う歌をなしける物にして、藤のあずかる処にあらず。 051: あずかる所なき花にも、我が情態をこれに移せば、花も又、人なり。 052: 古来、明哲の輩も、品は異なる事はあれども、この病に坐せられ、 053: 人の境に居りてひとを離るる事あたわず。目の翳障をなすなり。 054: さる故に、なれ癖に頓着なく、是れが泥みとなりて、物をあやしみいぶかる心 なき故に、一生を醒めるがごとく酔うがごとくにして終わるなり。 055: さらば、ものを怪しといぶかる心なくば、なきにしてやむかとおもえばさにも あらず。 056: 神鳴り、地震りたりといえば、人ごとに首を捻り、いかなることにやといいの のしる。 057: 我よりしてこれを観れば、其の雷・地震をあやしむこそあやしけれ。 058: 故いかんとなれば、其の人、地動くを怪しみて、地の動かざる故を求めず、雷 鳴る所を疑いて、鳴らざる所をたずねず、これ、空々の見ならずや。 059: 此の故に、皆人のしれたる事とおもうは、生まれて智の萌さざる始めより、見 なれ聞き慣れ、触れなれたる癖つきて、其のしれたるとおもうは、慣れ癖のつ きたる事なり。 060: 我、人に、「石を手に持ちて、手を放せば、地に落つるはいかなる故ぞ」と問 えば、「それは重きによりて下に落つる也、知れたる事也」という。 061: これも其の人、知りて知れたる事と言うにはあらず。 062: なれくせにて頓着なしにしれたるとおもうなり。 063: 然ればこれを醒めたるがごとく酔いたるがごとしといわんも、我が過言にはあ らざるべし。 064: 此の故に、其の疑いあやしむべきは、変にあらずして常の事也。 065: 孔子の「生を知らず、いずくんぞ死をしらん」とおしえ給うも、この事なり。 066: 人々、死後はいかがなるらん、いかがある覽と怪しめども、見在かくしておる 事も、悉く皆しれざる事なり。 067: 俗語にも、前の瀬わたりて後の瀬とこそいえ。 068: しかるに世の人、前の瀬を置きて後の瀬の事のみおもう。 069: 我、怪しむ所なり。 070: しかれば、石、物いうというとも、それより己が物いうを怪しむべし。 071: 枯れ木に花咲きたりというとも、先ず生木に花さく故をたずぬべし。 072: かく物に不審の念をさしはさまば、月日のゆきかえり、造化の推し遷るは更に して、己が有と占め置ける目のみえ耳のきこゆるも、態をなす手足も、物をお もう心も、ひとつとして合点ゆきたる事はあるまじく候。 073: それを世の人いかがすますとなれば、「筈」というものをこしらえて、これにか けてしまう也。 074: 其の「筈」とは、目は見ゆる筈、耳は聞こゆる筈、重きものは沈む筈、かろき 物は浮かぶ筈、是れはしれたる事也とすますなり。 075: 然れば其の次手に、雷は鳴る筈にて鳴り、地震は動く筈にて動き、枯れ木に華 さかんもさけばさく筈、石のものいわんもいえばいう筈と、すまし度るものな り。 076: 又、少し書読などいう人は、雷は陰昜の闘いなどいいて、人をさとすなり。 077: 其の人に陰昜というものをとえばしらず。 078: 爰において、我、其の智と愚とを弁ずる事能わず。 079: この故に、智を天地に達せんとならば、雷をあやしみ、地震をいぶかる心を手 がかりとして、此の天地をくるめて一大疑団となしたき物に候。 080: 猛獣まさに搏んとすれば、必ず形を伏す。 081: 鷙鳥まさに撃んとすれば、必ず翼を斂むとも申し候。 082: とき事をせんとては、ふかくとどまる事をなす事に候。 083: 弓をひくにも、矢の弓手(ゆんで)に遠くゆくは、馬手(めて)にふかく引く ゆえなり。 084: 疑い多き人さとる事多し、疑いなき人のさとる事鈍きは、弓に満を持せずして 、矢を放てるがごとし。 085: 此の故に世の人の天地をしらざるは、慣れ癖に頓着なく、習気を秘蔵する故に て候。 086: 是れに因りて天地を達観せんと思し召して、平生慣れて常とする事を疑いの初 門とし、触るる事悉く御不審を起こされ、我、かくおもいかくうたがうもの、 もと人なれば人の執気ある処を、御かえり見有るべく候。 087: 世に所謂、天地に通ずるとは、天象地理を記し、日月星辰の運行を推歩する人 の事に候。 088: なる程其の学を専門につとむる人は、思々の念、其の学精密にも至るべく候え ども、前段に申せしごとく、それはそれ切にして、 089: 日は何故一歳に天を一周し、天は何ゆえ一日に地を一周し、 090: 緯行は何故一度は南し一たびは北すると、うら返し候えば、 091: 是れも只、然あるによりて然かそゆるのみに候えば、達観とは申す間敷く候。 092: さて書籍と申し候物もむかしの人の面々の見たる所を書きつけたる物にて、造 物者の書きたる物にてなく候えば、 093: 其の人の通じたるかたは明らかにも候えども、塞がるかたの候て、たとえば人 の、物いうには通じ候えども、臭いをかぐ事は塞がりて、犬猫に劣り候様の物 に御座候。 094: されども、むかしより書にても著し候程の人は、みな、常の人には等をこえた る人に候えば、最初書によるもよく候えども、 095: 天地を得と臍の下に入れて書きたる書もなく候えば、執する所ありて、 096: 徴を正にとらざれば、是れ又、大習気の種子に候。 097: 書を大習気の種子と申すを激論の様にも思しめすべく候えども、目のあたりあ る事にて申し候わんに、 098: 人生まれて嬰孩の時、猶、天然の真を失せず、 099: 其の子を一人は浄門の僧となし、一人は日蓮下の僧となし、各おの其の師に従 って学ぶ事十年、帰り会して各所見を呈せんに、十年の習気、氷炭あい反し、 死すといえども其の守をかえず。 100: 嬰孩天然の真をもとむとも、いかでか再度かえる事を得ん。 101: 此の故に、書に因りて自得、是れ即ち徹底、造物起り来て自ずから談ずとも此 の外あるべからずとおもうとも、 102: 是れ即ち、習気、人に憑ってしからしむるかはしるべからず候。 103: 此の故に門を尋ねて其の主人にあい、其の主人に請うて己が耳目を具する者を ば、 104: 我、是れを風化の人とて、 105: 従前の事跡を考え、荒外の地理など察し候様の事には、古今の変化沿革、東西 の遠近離属、そのほか、百爾の方法、我が見聞の及ばざる所をのせ、世々の人 の発明ともあわせ照らさんには、書はまことに主に候えども、 106: 天地はむかし新しき天地にもあらず。 107: 今ふるき天地にもあらず。 108: いつもかわらぬ無塩にして、 109: 我が炉中の火、即ち万里の外の火にして、 110: 我が盃中の水、即ち千古の前の水なれば、 111: 此の天地をしり、此の水火をしらんとならば、先ず此の無塩に試みて、傍ら書 籍に参考し、あわざる処を置き、あう処をとるべし。 112: 此の故に、天地達観の位には、聖人と称し仏陀と号するも、もとより人なれば 、畢竟、我が講求討論の友にして、師とするものは天地なり。 113: 天地を師とする時は、 古の聖賢より諸子百家、今日蒭蕘狂夫の言葉にいたる迄 、等の隔てはあるべけれども、ともに文を以て友を会する位にして、取捨は各 おのあるべき事に候。 114: 天地は広き量にて候程に、いれざるものなく候。 115: 容れざる者なく候程に、達観の位に学流の門戸なく候。 116: 前かた、或る人来たりて、「我、已に此の天地を呑却す」といいし程に、「天 地大なり、天地を呑却する人、幾百千万をか容る覧」と謂いて笑いし事あり。 117: いかに広大精微を説き出し候ても、天地にある広大精微に候。 118: いかに超越不群の人に候ても、此の天地の内に立ち、此の天地の内をゆく人に 候。
以上の訳・注解・英訳
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