多賀墨卿君にこたふる書

『多賀墨卿君にこたふる書』の自筆本(私の記憶によれば、印刷して 一行の長さが21センチ程度になっていれば、ほぼ自筆と同じ大きさ であると思う)は、和文で50頁に及ぶ長大なものである。梅園は書 家としても一流であったので、印刷して、一部手元に持っておられる と良い。実に味わいのある書である。梅園の字には、癖というか臭み がない。心境、抜けるが如きものがある。見るだけで気持ちが良くな る。一方、その前で思わず平身低頭してしまいたくなるような衝動に 駆られる圧倒的な書もある。そのような書でも、心境、抜けるが如き ものがある。見事と言うほかない。  なお、若干斜めに映っているものがあるのは、私が貧乏をしている ためにフラットスキャナを買えないためである。自筆は、きちんと真 っ直ぐに書いている。梅園自身の書いた字が曲がっているなどとは、 ゆめゆめ思わないように願いたい。(取り込みは、むろんコピーから 行った。)                             第01頁  第02頁  第03頁  第04頁  第05頁   第06頁  第07頁  第08頁  第09頁  第10頁   第11頁  第12頁  第13頁  第14頁  第15頁   第16頁  第17頁  第18頁  第19頁  第20頁   第21頁  第22頁  第23頁  第24頁  第25頁   第26頁  第27頁  第28頁  第29頁  第30頁   第31頁  第32頁  第33頁  第34頁  第35頁   第36頁  第37頁  第38頁  第39頁  第40頁   第41頁  第42頁  第43頁  第44頁  第45頁   第46頁  第47頁  第48頁  第49頁  第50
 この著作には、謎がある。それはこの著作が書簡なのか、書簡体の 書物であるのかが判然としないという点である。しかし、『再答多賀 墨卿』『三答多賀墨卿』という漢文体の書簡があるので、最初のもの としてこれが書かれたことは間違いない。しかし、多賀家には、送ら れたはずの最初の手紙は残されていない。送ったのは確かであるが、 それが、『多賀墨卿君にこたふる書』として我々が知っているものと 同一のものであったか否かが分からない。そもそも、おいそれと分か るような内容ではないのである。                 この件に関して、梅園メーリングリストで、五郎丸延(ごろうまる ひさし) 氏から、以下のようなコメントをいただいた。               [Baien:852] ------------------------------------  実は江戸時代の儒学者をやっていると、こういうことには何の疑問も起き ないのです。『多賀書』は書簡体の文です。                たとえば、伊藤仁斎という、江戸時代を代表する儒学者がいます。彼の死 後、長子の東涯が父の文を集めて『古学先生文集』を刊行しました。これに は、多くの書簡が収められています。書簡も立派な文なのです。文集に書簡 を収録することは、普通のことです。  それに、江戸時代の書簡は、よほどのことが無い限り、まわし読みされた り、写しが作られて宛先以外に送られたりしました。特に、学者・文人の書 簡は、そうした形で多くの読者に読まれました。  したがって、書簡とは、単なる手紙ではなく、一つの論文でした。宛先人 の背後にいる、多数の読者を想定したものだったのです。         ------------------------------------ 江戸時代は、手紙は回し読みされるのが当たり前の時代だったということです。 多くの人が読むことを前提にして書いているので、こういう優れたものになっ  たということでしょう。謎、氷塊!!                   
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