屋根のついているのが梅園先生のお墓である。
他のものは、梅園先生の父君がなくなられたと
き、先生が散在していたものを集められたので
ある。                  


墓所の一部。


梅園先生の墓石の拡大。右より「れん山先生墓」
(「れん」は巒の山を子に変えた字)     


墓碑の一部。


正面から見た梅園先生のお墓。


墓所へ行く参道。かなりの急坂で、12~3分は
かかると思う。最初は、話をしながら登れるが、
途中で息が切れて話が出来なくなる。若い人でも
かなりきつい。田口正治先生の人物叢書「三浦梅
園」P.11に「今登って来た参道はずいぶん急な坂
道であるが、梅園は毎日三度父母の墓に詣ったと
いう。老年になってからでも二度はかかさなかっ
た。それは雨の日も風の日も、もし昼間所用があ
って果さなければ夜ふけてからでも必ず実行した
という。梅園の長男修齢(しゅれい)の書いた 
『先府君れん山先生行状』にこのことを記し、 
「死ニ事(つか)フルコトカクノ如シ。生に事ヘ
シコト知ルベシ」とある。梅園は偉大な学者であっ
たのであるが、同時に道徳実践の真に高徳な先生
でもあったことを知る。」と、書かれている。こ
の墓参りは、自身の死の2日前まで続けられたと
聞いている。                
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