(続き)                                                                  

②インターネットの普及とともに明らかになったこと                        
  ここまでの段階は、インターネットが普及する以前の研究で明らかになったこと
です。インターネットを利用できるようになってから分かったのは、『玄語』がハ
イパーテキスト構造を持っているということでした。ハイパーテキストでは、文書
のある部分から他の部分を自在に参照することができます。ある部分と他の部分を
結ぶことでもありますので、これをハイパーリンクとも言います。あまり正確な表
現ではありませんが、インターネットそれ自体もハイパーテキスト構造よって構築
されているといえます。ハイパーテキストやハイパーリンクという概念を知ると同
時に、私は『玄語』という書物がこれと同様の構造をもっていることを知りました。
『玄語』とインターネットは基本の構造が同じだったのです。これもまた驚くべき
事実です。                                                                
  それを視覚的に示すには、クリッカブル「玄語図」を見るのがよいでしょう。ク
リッカブル「玄語図」は、画像の中のある特定の領域から他の画像を参照すること
ができるようにしたものです。これはインターネットの中ではごく普通に使われて
いる手法で、イメージマップとも言われます。                                
  『玄語』が図から図へのハイパーリンクを持っていることを示すよい例は「神物
剖析図」の左半分の象限です。右半分の象限は、リンクが左ほど単純ではありませ
ん。                                                                      




  たとえば、左上にある【天容-宇・宙】という部分に画面上のマウスポインタを
合わせますと矢印マークが手の形に変わります。ここでマウスのボタンを押します
と-この操作をクリックといいます-、【宇宙】という白紙の図が表示されます。





「宇宙」とは空間と時間のことです。「宇」が空間を「宙」が時間を表しています。 時間と空間は目に見えませんので、なにも描かれないわけです。実に論理的です。 この白紙の【宇宙】にもリンクが張られていますので、マウスポインタを図に合 わせてクリックしてみましょう。すると「宇宙図」が表示されます。





この図を見ますと「経緯」や「通塞」という概念と「宇宙」や「時処」という概念
に密接な関係があることが分かります。この図には「本宗」(ほんそう)の次の文
が対応します。

  518:  宇は能く物を容す〉                                                
  519:  宙は能く神を通す〉則ち                                            
  520:  宇宙は隠没し〉能く神物を容す〉                                    
  521:  物は能く宇に居す》                                                
  522:  神は能く宙に通す》                                                

このように『玄語』では、図と文の間に密接な関係があります。                
  次に【天容-宇・宙】から反時計回りに移動して【機没-転・持】をクリックし
てみましょう。すると、「転持図」が表示されます。                          




この図の形は車輪に似ています。中央にある放射状の直線はスポークのようです。
周囲の同心円はそれに支えられた輪のようです。すでに申し上げましたように、こ
こにはニュートンとは違った、梅園独自の発想があります。西洋近代の礎(いしず
え)となったニュートンの考え方と異なっているからという理由で、この発想を前
近代的なものだなどと思ってはいけません。両者は相互補完的な関係におかれるべ
きふたつの理論体系であって優劣の関係はありません。梅園の発想もニュートンに
劣らず近代的な合理性を持っているのです。ここには西洋近代とは異なった<東洋
近代>の姿が現れていると申し上げても良いでしょう。                        
  さらに反時計回りに回って黒く塗られた部分の【物-天・地】と書かれている部
分をクリックしてみます。私はこれに「地冊露部」の「性体二界図」をリンクさせ
ました。「性体二界図」は「性界」と「体界」というふたつの領域をひとつの図に
描き込んだものです。このうち左半分の象限に書かれた「体界」の天地が【物-天・
地】に該当していると考えられます。                                        




  次に【気-水・火】を見てみます。これはいま見た「性体二界図」の右半分の象
限に合致すると思われます。個々の語の内容については、私のホームページを見て
いただくことにして、ここでは省略させていただきます。                      
  以上の画面上の操作から『玄語』がある部分から他の部分を参照しながら読むよ
うに書かれた書物であるということがおわかりになったと思います。この参照構造
は-これをハイパーテキストとかハイパーリンクとかいうのですが-、非常に明確
なもので、散文的な曖昧さを持っていません。このような関係は、『玄語』のすべ
ての語に見いだされるものです。しかしながら、『玄語』のハイパーリンクは非常
に複雑で錯綜しており、いまだにそれを読み解くことは出来ていません。『玄語』
の本文は、文法的には非常にシンプルな漢文法に従って書かれており、図はさらに
シンプルな二分岐構造によって描かれています。記述そのものは、きわめてシンプ
ルです。しかし、語と語のハイパーリンクは非常に複雑で、あたかももつれた糸の
ようです。しかもその糸は目に見えません。もとより『玄語』の解読とは、このも
つれた糸を解きほぐすことにほかなりません。それが『玄語』における三浦梅園の
思考の脈絡であり、その脈絡の解読こそが後世に残された仕事なのです。それには
困難で根気の要る作業が必要となりますが、それを行わないわけにはいきません。
  それには人工知能の知識が必要かも知れません。文献を理解するだけでなく、理
解された内容を何らかのかたちで人間社会に応用するにはコンピュータの力を借り
なければならないでしょう。そのためにはいま申し上げましたように『玄語』にお
ける梅園の思考の脈絡を読み解き、さらにそこから梅園の思考の方法を明らかにす
る作業が必要でしょう。そうしてそれをコンピュータに移植する必要があると思わ
れます。梅園は一貫した思考によって自然界を解明しようとしています。工学的な
表現を借りれば、『玄語』における梅園の推論機構、あるいは推論エンジンが梅園
の頭の中にあったわけです。それをコンピュータ科学の中に写し取ることが出来る
かも知れません。そういう可能性まで含めた上で、世界的な協力関係のもとでの研
究が必要な時代が到来しているのです。                                      

【インターネット時代における三浦梅園資料館の役割】                        

  さて、では今後そのような方向での研究が成されるとした場合、三浦梅園資料館
はいかなる役割を果たしていけばよいのでしょうか。ひとことで言いますと、それ
は三浦梅園の自筆稿本類のインターネット上での公開作業であるということになる
でしょう。画像資料はキーボードから入力したテキストデータとは違って、世界中
のどのコンピュータでも見ることができます。まず梅園の自筆稿本類をデジタル化
して世界中の誰もが資料を閲覧できるようにすべきでしょう。現在では、そういう
作業を行うための十分な性能の機材がありますし、驚くほど安いコストで世界へ向
けての資料公開が出来ます。漢文を読める人は海外に沢山いますからインターネッ
トを使って世界の英知を結集することも出来るでしょう。コンピュータを使って日
本の知の構造を探るという試みは、東京大学史料編纂所における「前近代日本の史
料遺産プロジェクト」の目的とするところでもあります。このプロジェクトの目的
は「史料の構造を研究し、情報化社会の中で歴史遺産として活用できるようにする
こと」です。三浦梅園の創り上げた思想体系は、おそらく日本の歴史の中で最も合
理的なものでしょうから、それを解明することは、国家規模のプロジェクトと同じ
方向性を持つものといえるでしょう。                                        
  日本人の知の構造を見る上では、三浦梅園の『玄語』と国産のコンピュータ・オ
ペレーティング・システムであるBTRON(ビートロン。最新版の製品名は「超
漢字2」)を比較してみると面白いでしょう。まったく何のつながりもなく作られ
た、このふたつの日本人による知的業績には奇妙な一致点があります。それは私が
BTRON版『玄語』を作ったときに初めて分かったものです。これについては平
成10年と11年に<文部省科学研究費補助金・重点領域研究「人文科学とコンピュ
ータ」数量的分析計画研究班>の後援を得たシンポジウムで発表しております。平
成10年発表のものは「人文科学における数量的分析(3)」に「平衡二分木によ
る自然語辞典の構築と地球環境保全への技術的応用について-三浦梅園とBTRO
N-」として掲載されており、平成11年の発表は同(4)に「三浦梅園の第一主
著『玄語』のデータベース化とその技術的応用」として掲載されております。    

BTRON(ビートロン)版『玄語』の画面例



  今回は、詳細に立ち入るゆとりがありませんので、この話題についてはまたの機
会にお話しすることにします。ここで申し上げたいことは、日本人の知的業績をコ
ンピュータ上で理解すべき時代が来ており、それには三浦梅園の業績がうってつけ
のものであること、だからこそインターネット時代に相応しい資料館として、イン
ターネット上での資料公開を急いで欲しいということです。                      

【世界梅園化計画とは何か--新たな地球文明の創造に向けて--】            

  三浦梅園研究所のホームページには「世界梅園化計画」といういささか大それた
ことが書かれております。しかし、共産主義は失敗はしましたが「世界マルクス化
計画」でしたし、資本主義は「世界アダムスミス化計画」だったと言えるでしょう。
これもまた失敗への道を突き進んでおります。いまやこの世界のどこにも「神の見
えざる手」を見いだすことは出来ません。このままではすべてが破局に向かうよう
に思われます。後世の人々は、世界の大部分がこのふたつの経済体制に支配された
ということを、信じがたい歴史的事実として記憶することでしょう。            
  多くの人間は自分の頭では何も考えられないか、誰かの言葉を盲信するかのいず
れかのようです。しかし、三浦梅園が最も嫌ったのが、このふたつのことでした。
「天地を師とす」とは、たとえ聖人の言葉であっても、天地に照らして正しければ
それに従い、天地に照らして正しくなければ従わないということです。そして天地
に照らして正しいか否かを決めるのは自分自身なのです。現在の世界は、天地に照
らして正しいと言えるでしょうか。そうは言えないでしょう。正しくないから、多
くの問題を引き起こしているわけです。多くの人々が無反省に現在の社会に従って
いるから、混乱がなくならないのです。                                      
  私は「天地を師とす」という言葉を「地球生態系の安定性を基準とする」という
意味に読み換えて理解しています。「世界マルクス化計画」も「世界アダムスミス
化計画」も《有限な全体としての地球》というものが理解されていない時代に作ら
れたものであり、そのために既に時代遅れの思想になってしまっています。それら
に従った世界は地球上の多くの生命を危機に陥れるような環境破壊を引き起こして
いることにおいて共通しています。こんにち必要であるのは、地球環境の保全を前
提とした科学技術であり、経済体制であり、市民社会のあり方なのです。これらは
これから新たに生み出されねばならないものです。                            
  その中で科学技術と『玄語』の思想との関係についてご説明しましょう。実は、
「世界梅園化計画」は、すでに始められているのです。ただし日本ではなくアメリ
カにおいてです。最先端の科学技術を駆使したふたつのプロジェクトの関係が、見
事に「反観」の関係を作り出しています。                                    
  NASAのエイムズ研究所にクリストファー・マッケイという学者がおります。
彼の専門は「火星改造計画」です。人類を火星に移住させるために火星に生物が住
めるように改造しようという壮大な計画について研究しています。それによります
と、人類が火星に住めるようになるまでには、およそ10万年の歳月が必要だそう
です。およそ実現不可能な規模の計画です。                                  
  このような宇宙的なスケールでの人類救済計画が考えられている一方、アリゾナ
州にあるバイオスフィア2という施設では、外界から完全に隔離された人工生態系
を作り出し、そこに実際に人間を生活させてみるという実験を行っています。小さ
な地球生態系を作って自然界を研究しているのです。あるとき、その施設の中で重
大な変化が起きました。酸素が徐々に減っていって、人間の生活に支障が生じる可
能性がでてきたのです。植物による酸素の生産量、人間によるその消費量などにつ
いては、十分に計算されていましたから、原因がなかなか分かりませんでした。  
  科学者たちは、施設内のありとあらゆるものについて調査をしましたが、酸素を
減らす要因になっているものは見つかりませんでした。最後に「土」を調べました。
そうしたところ、土の中のバクテリアが大量の酸素を消費していることが分かった
のです。これは計画に参加したすべての科学者にとって意外なことだったようです。
  両者は最先端のアメリカの科学技術によって研究されているものです。しかしな
がら、三浦梅園は200年以上も前にさらにダイナミックな思考実験を行なってお
りました。とは言っても、何も火星を改造しようなどと考えていたわけではありま
せん。また、火星改造計画も実際に10万年の歳月をかけて火星を改造しようと考
えているわけではありません。研究の目的は地球をよりよく知ることにあります。
火星を地球のように生物の住む惑星に変えるには、地球について良く知らねばなり
ません。これは簡単に言えば地球をコピーしようとする計画ですから、コピーする
もとの地球を詳細に知らねば、実現できるはずがありません。                  
  つまり火星改造計画は、地球についてより良く知るための鏡の役割を果たしてい
るわけです。鏡に実在するものが写るように、コピーする地球の情報を火星に写し
てみることが出来れば、火星をではなく、この地球をもとの状態に復元することが
出来るはずです。つまりこの計画は、「反観」のよい例になっているのです。    
  ここには、有人宇宙飛行が始まって以来の研究課題が非常に大きなスケールでク
ローズアップされています。その研究課題とは、人間の生存条件、あるいは生物の
生存条件を科学的に知ることです。人間や他の生物が本来生存できない状況に送り
込むことによって、逆にそれらの生存条件について多くを学ばなければならなくな
りました。これは文字通り「反観」の実践になっています。西欧の科学は、舞台を
宇宙に移すことによって、自然に「反観」の領域に到達したと言えます。「反観」
は科学的な世界認識の延長上に、おのずと姿を現しているのです。              
  しかしながら、梅園はさらに壮大なスケールで「反観」の思考実験を行なってい
ます。彼は『贅語』の中で次のように書いています。                          

    もし人の身長を伸ばして、雲や霧の位置より高くすれば、晴れや曇りといった
  天候に煩わされることもない。また蒼々とした天空の外に身を置けば、太陽・月・
  恒星・惑星という星々も一団になって地球にくっついて見えよう。            
                                (訳:吉田忠  日本の名著「三浦梅園」P416)

  ここでは梅園は、火星よりさらに遠い宇宙空間に視点を移しています。地球から
宇宙を見るのではなく、宇宙から地球を見ているのです。このダイナミックな<視
点移動>こそが「反観」の威力なのです。「反観」を用いれば月に行かなくても、
月に視点を移動させて地球を見ることができ、月に行ったた宇宙飛行士が味わった
ような感動を地球に居ながら味わうことが出来ます。また、火星を改造しようと計
画しなくても、火星に視点を移動させることによって、地球を外から客観的に見る
ことができます。そういう視点移動を地球上の個物に対してさえも自由自在に行な
うことによって、宇宙論的なダイナミズムをあらゆるものに対して見いだすことが
出来るわけです。視点移動によって事物は新たに発見されていきます。その記録が
『玄語』という書物として残されたのです。                                  
  そういう宇宙論的なダイナミズムに於て梅園が見た生物の有り様は、通常我々が
学んできたものとは基本的に異なっています。そのよい例が「動植分合総図」です。




ここで梅園は「土石」を植物に分類しています。宇宙論的な視点移動によって地球
生態系を分類していくことによって「土石」は植物、つまり生物であることが、新
たに<発見された>のです。バイオスフィア2において生じた酸素不足の原因が土
であることに思い至らなかった欧米の科学者たちは、それを消去法によって最後に
発見したのでした。そうしてその事実の意外性に驚きました。しかしそこにもし梅
園先生が居たならば、即座に「土」が原因であることを見抜いたことでしょう。  
  我々が通常知っているすべてのものが、「反観」によって新たに発見されていき
ます。三浦梅園はそのようにしてすべてのものを新たな知の枠組みの中に取り込ん
でいきました。そうして初めに述べましたように、それはコンピュータと非常に相
性の良い情報処理的手法によって記述されているのです。発見の方法である「反観」
自体も情報処理的手法であるといえます。そこに『玄語』という書物の果てしない
可能性を見ることができるのです。                                          
  『贅語』のいまの文に続いて、次のように書かれています。                  
  
    さらに人の寿命を、いつ始まるとも、いつ終わるとも分からない時の絶え間の
  ない流れに沿って無限にすれば、過去と現在も一日の朝から夕暮れの間に見てし
  まうことになる。                                                        
  
  前の文とこの文は時間と空間を「反観」するという梅園流の思考法によって書か
れています。ここでは宇宙論的な悠久の時間から見れば、通常人間が意識する過去
から現在に至る時間は「一日の朝から夕暮れ」のような束の間の出来事に過ぎない
と書かれています。いまから200年以上も前に、既にこのような高度な認識に達
していたのです。現在では進化論がそのような事実をいっそう精密に明らかにして
くれています。しかし、三浦梅園がそのような思索を展開していたのと同じころの
ヨーロッパはどうだったでしょうか。これから科学が発展しようとするその時期に、
科学が地球を越えて宇宙に飛び立つころのことを予見した書物を生み出していたで
しょうか?                                                                
  宇宙論的な空間と時間からすれば、地球も、また我々の時間意識も、そのように
小さなものに過ぎないことを、梅園は既に<発見>していたのです。そうしてまた
逆に、我々が小さなものと思っているごく身近なことが、実は宇宙論的なスケール
を持つものであることをも<発見>していたのです。そうして「反観」されたすべ
てのものの総合として発見される新たな<世界>が存在することも発見していまし
た。それは「反観」されたすべてのものが「合一」した世界です。そこにおいては
すべての対立が消滅しているような高い次元での調和が成り立っている世界です。
  我々は、すべてのものを「反観」し「合一」することによって、我々が生きてい
る世界を新たな次元に於いて発見することができます。その世界こそが、人間三浦
梅園が生きていた世界であり、我々にとって可能性として開かれた未知なる世界で
あります。                                                                
  ヨーロッパ現代哲学のひとつである現象学を唱えたエドムント・フッサールは、
最後の著作『ヨーロッパ諸学の危機と先験的現象学』の中で「生活世界の学」を提
唱しました。私は、長年にわたる『玄語』と現象学の研究によって、三浦梅園が生
きていた世界、そうして私たちにとって可能性として提示されたこの世界は、紛れ
もなく、地球生命にとっての「生活世界」であったと断言できます。ここには思想
の比較を越えた、不思議な<思考の一致>が見られます。                      
  また20世紀最大の哲学者のひとりといわれるルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュ
タインは、その代表的著作である『論理哲学論考』において「実在の論理的映像」
という着想を展開し、哲学の終焉を宣言しました。『玄語』は、地球生態系の論理
的映像であり、ヴィトゲンシュタインがその着想を示すにとどまった思想を、実際
に論理的体系として実現しているのです。これもまた長年にわたる私の研究から断
言できることです。                                                        
  三浦梅園は、現代の科学、現代の哲学がその最先端において取り組んでいるテー
マを、コンピュータサイエンスにフィードバックすることが出来るかたちにして書
き残すという、奇跡にも近い仕事を成し遂げました。                          
  そのような稀有の業績を成し遂げた偉大な先人としての三浦梅園を再発見し、世
界に紹介していくのが、私たちに託された仕事であると言えるでしょう。どんなに
小さい一歩であっても、それはいつの日にか新しい地球文明として結実することに
なるでしょう。                                                            
                                                                    (終)

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