校 異



 「色」(しき)が「性」に訂正されている。この訂正は、ほぼ全編に見られるも
ので、図の訂正すべての中で最も重要なもののひとつである。「地冊」は、   


没部-┬-界の冊
   |     
   └-界の冊

露部-┬-界の冊
   |     
   └-界の冊

という構成を持っている。つまり、「天・機・性・体」という概念で地冊没露両部
を構成しているのである。このことは『多賀墨卿君にこたふる書』にも明確に述べ
られている。                               


237:  只、粗底にしてよく没して虚の体を成し、露して地の体をなし、      
238:  一大結物中に天地を開くも、精粗並び分かれて、没露並び立つ。      
239:  其の没する物を天機とし、其の露するものを性体とす。          
240:  此の性体というは、露して物を成す性体にして、性一体二といって、陰昜を立
   つる所の性体とは、名同じうして差別あり。               
241:  天機は没して天地をなし、性体は露して天地を成す。           
242:  天は天地を宇宙になし、機は天地を転持になす。             
243:  成し得て未だ天地を物に露わさず。                   
244:  体は虚実を以て天地をなし、性は水火を以て天地をなす。         
245:  成し得て已に天地を物に露わす。                    
246:  体を露わさざる物、宅をなして、露わるるもの其の内に居る。       
247:  此の天機性体の四つのものは、棊盤の四つの脚のごとく、一脚なく候ても、餘
   の三脚自ら立つ事を得ず候。                      
と、ここまで明確に「天・機・性・体」という四つの概念を用いながら、なぜそれに
対応するはずの図であるこの図において「天・機・色・体」という概念を用いるので
あろうか?                                 

 安永四年本『玄語』(『多賀墨卿君にこたふる書』は、ほぼその直後に書かれてい
る)と浄書本の間に概念の変遷があったということは当然考えられるが、浄書本「地
冊露部」の項目は、                             


体界の冊                                 

性界の冊                                 

と明記されている。また「地冊露部」の四界図では「天・機・性・体」とされていて、
この「性」は訂正されていない。となりの天地華液図一合(裏)の「色」は「性」に訂
正されている。                                

 たしかに訂正したくなる不統一であるように見える。が、梅園は、図と文で「性」と
「色」を使い分けるという意図を持っていたのである。というのは、安永本の「体圏図」
「色圏図」を見ると分かるとおり、梅園は、地球中心の領域を「体圏」、太陽中心の領
域を「色圏」としているからである。                      


この図を発展させたものが、浄書本の転図運図である。


 梅園は意図して語の使い分けをしていたのであり、ふたつの語の違いは、昼夜の入れ
替わりや四季の変化などの生活的体験の有無に由来している。「色」いうときは生活的
体験を含まず、「性」というときはそれを含んでいる。つまり図と文とでは宇宙的と地
上的という視点の相違があると考えられる。あるいはこれを「天」と「人」の対関係に
由来する必然的異相と見ることも出来るだろう。『玄語』を書いたのは三浦晋という一
個人であり、それは当然人間であるから、地表に存在する「小物」に類属するものであ
る。「変化に錯綜」する文は、地表から見た事物の記述に由来するのであり、「條理に
整斉」する図は、普遍の宇宙的構造に由来すると考えれば、文に「性(せい)」、図に
「色(しき)」とした梅園の語法を、安易に統一するのは大なる過ちであると見るべき
である。換言すれば、「大冊」から見下ろして書かれたのが図であり、「小冊」から見
上げて書かれたのが文である。                         

「例旨」に次のように述べられている。                     

15474:  物は経緯を有す〉諸を文辞に寓するに〉経は先後に由て序す可し〉    
15475:                    緯は両辞斉発す可からず〉    
15476:  気は混粲を有す》諸を図書に託するに》粲は條理に由て分つ可し》    
15477:                    混は罅縫綻開す可からず》故に  
15478:  文は変化に錯綜す〉                         
15479:  図は條理に整斉す》夫れ物は統散の分を有す。             
15480:  一天地を具するに於ては。則ち小猶お大なり。故に           
15481:  大物は。一は二を有す。二は一を成す。                
15482:  性物剖対し。往くさき限り無し。                   


 おそらく文と図の語法を統一しようとしたこの訂正者は三浦黄鶴であって、黄鶴は、
こういう使い分けを見抜けなかったのであろう。『玄語』全体を「天・機・性・体」に
統一しようというのは、図と文の相違を見抜けなかった結果であり、この過ちは現在ま
で是正されていない。                             

 当然ながら、岩波版(P574, 図番69)では「性」に訂正された図(下図参照)が掲載
されている。                                 
これを資料とすると、三浦梅園のそれではなく、長子三浦黄鶴の思考を研究する結果に
陥ることになる。                               


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