2.一一相食混成図一合(いちいちそうしょくこんせいずいちごう。いちいちあいはみこんせいするのずいちごう) 校異あり blank format

名状すべからざる「玄なる一元気」を気合一閃、真っ二つに割った図がこれである。このとき「玄なる一元気」
は消滅したのではなく、白と黒の二つの円に乗り移ったのである。これを

2367: 一は移りて二に居る。

3512: 一漸みて一一を開く。而して (漸みて=すすみて)
3513: 一移りて一一に居る。

などと書いている。これらの前後の文を読むと非常に難解であるが、要するに
言明不能な存在が下位の存在に移行しているというのである。

ここから自然界を構成するすべての自然物が「全一性」を持つことが保障される。
部分でありながら全体である。全体であることに置いて全世界・全宇宙・全存在と同等である。

ここに日本にのみ俳句が存在する理由がある。

やせ蛙 負けるな 一茶ここにあり

古池や 蛙飛びこむ 水の音

存在するすべてのものが同等・同格なのである。なぜならそれらは「玄なる一元気」から
分かれ、玄なる一元気を分有するものだからである。人間とて同様である。だから
蛙と心が通じるのである。たとえ砂粒ひとつであっても心が通じる。でなければ石庭など出来ない。
苔にすら心が通じるのが日本人である。
だから日本国歌「君が代」に「苔のむすまで」と歌われるのである。

本の綴じ目(中央の線)が一元気をスパッと切った線である。閉じれば綴じ目も消え、
白黒の円も消え、玄なる一元気に帰還する。

この綴じ目は論理記号である。すなわちシェファーの棒記号と同じ機能を持つ記号である。
ただし、シェファーが棒記号に関する彼の論文を書いたのは1913年である。梅園全集が
出版され全世界の腫瘍大学図書館に寄贈されたのは1912年である。

おそらくシェファーは、『玄語』の図を見たのだろう。文を読む必要はない。勘の鋭い人ならば、
「経緯剖対図」や「一一精麁図」その他を見れば、図の中の細線が
論理記号であることは直感的にわかる。
シェファーの棒記号は、"|"で表される。もっともシンプルな表記は、p|q で、
これは「pでないかqでないか」と読む。これに符合させれば、
この図は、●|○であることになり「白でないか黒でないか」と読めることになる。

バートランド・ラッセルは、この特殊な形態として、t|(t|t) を挙げており、これを

# tはそれ自身を含意する。

と読むと『数理哲学序説』に書いている。これは「経緯剖対図」の


と同じである。違う点は、梅園の場合は、下位のふたつの「一」を「二の位」、上位の「一」を
「一の位」として、位取りをしている点である。『玄語』にはこの二つの位しかない。

要するに、梅園の場合は、下位のふたつの「一」を統合すれば上位の「一」に繰り上がるという
組み込み構造を持っているのだ。その組み込み構造の連鎖を示すのが「経緯剖対図」である。
この連鎖は無限に続き、上方にも下方にも際限がない。

シェファーが『玄語』の図を見たかどうかは確証がないが、棒記号、つまりストローク関数の
歴史上初の発見者が三浦梅園であることは間違いない。また、梅園は「一」という代数を用い
ており、この関係を「一即一一」(展開方向)、「一一即一」(統合方向)と定式化している。

したがって、先のラッセルの t|(t|t) と同じく、一|(一|一)と書ける。この"|"を梅園は、
「反」と書いている。したがって、「一即一一」は、一反(一反一)と同じで、この「反」は
拒否を示す論理記号の役割を担っていることになる。

シェファーの棒記号による論理演算は、電気的にはNAND回路として使われており、すべての
電気回路はNAND回路に置き換え可能であることが証明されている。次を参照されたい。

ナンド(nand)は魔法の棒

リンク先が消えるとまずいので、ここにnand.pdfとして保存している。



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