三浦梅園資料館 ほか 各位様 宛メイル

*********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                                 北林達也 > 『玄語』では、地表の小動物類から、天球に至るまでの存在物を、ひとつの基本構造の > バリエーションを通して理解しようとしています。 と書きましたが、基本構造は最終的には、「経緯」に統合されます。 4870:   [通塞] 経緯なる者は條理の大綱なり。 4871: G0106L-013 没中は剖対す〉 4872: 露中は通塞す》 とありますように、「没中の剖対」(二分岐の連鎖構造)と「露中の通塞」(時間と空間)は、「経緯」 に統合されます。結局、存在物のあらゆる様態は、ひとつの様態のバリエーションとされます。 その意味では、天体の回転運動と、地表近くの昇降運動を数理的に一意化したニュートンとは、発想は 異なっておりますが、一意化(一般化)しようと意図した点では共通していると言えます。 しかも、それが物体の運動というような限られた現象に対してではなく、あらゆる存在に対して適用さ れているという点では、ニュートン以降の物理の歴史よりも、その理論の包括する範囲が広いと言える でしょう。 梅園が目指していたのは、要するに、一大統合理論であったと言えるでしょう。 この一大統合理論による世界の網羅的記述を行ったのが『玄語』であり、諸学の網羅的批判を行った のが『贅語』であったわけです。 学の構想の大きさにおいては、ヘーゲルに匹敵します。末木剛博氏は、それを見抜いていたと思われ ます。 「梅園学会報第15号」所収論文 「梅園とヘエゲル」 http://www.coara.or.jp/~baika/sueki2.html 三枝博音も、この点に着目していました。 『三浦梅園の哲学』 第一書房 昭和16年刊  『梅園哲学入門』  第一書房 昭和18年刊 三枝のこのふたつの著作は、『玄語』の解釈において、根本の、また細部の間違いはあるものの、 それを超えて、読まれるべき価値のある書物です。 二人とも、細部に間違いがあるのはやむを得ません。しかし、学の構想の大きさを見抜くには、 それにたるだけの学識と、人物的スケールがなければなりません。 その後の研究は、明代末期から清代初期の中国思想から日本近世の思想史への流れを見た 高橋正和氏の業績を除けば、これといったスケールのものは見あたりません。この流れについ ては、『梅園哲学入門』の中で『天経或問』(てんけいわくもん)に言及している三枝博音は、 すでに察していた可能性があります。 『三浦梅園』 叢書・日本の思想家23 明徳出版社 『三浦梅園の思想』 ぺりかん社 昭和56年5月30日発行 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                                 北林達也 7123: G0142U-017 衆星は運の輪軸に従う〉  これは、天球上の恒星群は、それが一年かけて回るときの中心軸に従う、という意味でしょう。  この「運軸」が、黄軸と同じなのか、よく分かりません。黄道座標で考えていれば、黄軸なんで  しょうが、まだ分かりません。 7124: 諸辰は日の輪軸に従う》  これは、太陽系の諸惑星が、太陽の中心軸つまり黄軸に従って回転しているという意味でしょう。    梅園は、天動説から脱却できなかったから、前近代的だという議論が長く為されていましたが、  『玄語』をきちんと読んでいたのでしょうかねぇ・・・・ 図としては、 http://www.coara.or.jp/~baika/kensaku/genzu/099new.gif があるのに、どうして、そういう議論が続いたのか分かりません。図もきちんと見ていなかったんで しょうかねぇ・・・・ なお、自筆稿本における図の配置は、 http://www.coara.or.jp/~baika/kaisetu/099b-100zu.html http://www.coara.or.jp/~baika/kaisetu/101-102zu.html を参照してください。 7014: 運の昜を折りて地に向かうこと数万年を経て。而して天を一周す。 は、歳差運動のことかも知れません。おそらく惑星歳差のことでしょう。としたら 数万年は、正確には25、920年となります。黄道が変わり、春分・秋分の位置がずれるので 季節も変わります。地上に変化をもたらすというのが、「地に向かう」の意味かもしれません。 http://www.astroarts.co.jp/alacarte/kiso/kiso03-j.shtml から考察してみてください。 浅田剛立の計算力を持ってすれば、かなり正確な数字をはじき出していたはずですので、剛立の ことも調べないといけなくなります。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                                 北林達也 ちょっと疲れたので、『玄語』とは関係のないお話しです。 > 自然科学、および科学技術は、手綱を失った暴れ馬のようになってしまっています。 西欧では、ニーチェ、リルケ、ランボー、その他多くの詩人・実存主義の思想家たち、芸術家たちが 精神としてのヨーロッパを失うまいと格闘しましたが、ことごとく敗北しましたね。 最悪なのは、サルトルで、まるで砂を噛むような味気なさ。浅薄なことこの上ない『存在と無』 とか、「現代文明は意識が吐いたゲロである」と言っただけの『嘔吐』とかは、読むだけ時間 の無駄(若い頃、読んだけど・・・)。 治療時間のBGMに、モーツァルト全集を1日3枚のペースで聴いています。全部でCD170枚。 もうすぐ、バッハ大全集(CD155枚)が届きます。 ゲルマン的長大趣味を味わうのなら、思想のヘーゲルよりは、音楽のワーグナー、ブルックナーの 方が相性がいいです。 精神としてのヨーロッパが生んだ最大の遺産は、古典音楽でしょう。形式と内容がこれほど完璧 に融合した知的創造物は、人類史上、他に例がありません。 日本の堺を思わせるベネチアの花形スターだったビバルディとか、存命当時はバッハよりも大物だっ たテレマンなども、ヨーロッパの魂-光と影と幻想-を伝えてくれます。 その古典音楽史の中のビッグスターたちの作品は、かなり聴いています。CDにして800枚くらい。 飛び抜けて好きなのが、超天才にして奇人変人のアントン・ブルックナー。全集だけでも3セット 持っています。 ヨーロッパ精神の規範を感じさせてくれるハイドン。音楽の精髄を感じさせてくれるバッハ。理想 の炎を天高く掲げたベートーベン。・・・彼らを生んだのはヨーロッパです。思想や科学だけでは なく、ヨーロッパは偉大な芸術を生んでいます。 三浦梅園は、こういう人たちと比べても、見劣りしないのですよ・・・・ *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                                 北林達也 > 『贅語』に、人間の背丈を宇宙の果てまで伸ばして足元を見たら、太陽系も一点のようにしか見 > えないと書いています。 > > 壮大な思考実験です。 冒頭部分にあります。(浜田さんの入力作業です。30年くらい前?) Z0284L-001 贅語一 Z0284L-003 天地帙上 Z0284L-004 日本 鎭西 三浦晋 安貞 著 Z0284L-005 若使其身長於雲霧。則不以陰晴煩己。        ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ Z0284L-006 又以其身置蒼蒼之表。則觀日月星辰        ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ Z0284L-007 結著地。又使其壽從袞袞而不盡。則見        ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ Z0284L-008 古今於且暮。        ~~~~~~~~~~~ Z0284L-005 もし、其の身をして雲霧より長からしめれば、則ち以て陰晴己れを煩わさず。 Z0284L-006 また、以て其の身を蒼蒼の表に置けば、則ち日月星辰の Z0284L-007 結びて地に著くを觀る。また其の壽をして袞袞に從わせて盡きざらしめれば、則ち Z0284L-008 古今を且暮に見る。 中央公論の「三浦梅園」に吉田忠さんの訳が載っています。この本の吉田忠さんの仕事は、 なかなかのものです。 ちょっと古いけど、レコードに喩えれば、A面よりもB面の方が良い、というような ものですね。 『贅語』のこのあたりは、「おお!」っと刮目させられる雄大さで、スケールの大きさで は比肩するもののないヘーゲルにも劣りません。 まさに、日本のヘーゲルと言って過言ではありませんし、思考を厳密に階層化している点 は、ヘーゲルの及ぶところではありません。世界思想史の白眉と言えましょう! 『贅語』に関しても、文字校正や復元、読み下し、ルビ振りの作業が必要なので、かなり の作業量が必要となります。 2023年までに、梅園三語は揃えたいものです。私は、資料作成が終わったら、『玄語』 の語彙辞典を作りたいので、『贅語』にまでは手が回りそうにありません。 とにかく、マジで「死ぬ気」でやらないと出来ません(笑) 『玄語』に関しては、私は「死ぬ気」でやったし、本当に何回か死にかけましたね・・・・ いま生きているのが不思議なくらいです。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                                 北林達也 『玄語』の宇宙観(天文現象の理解)は、極めて特異です。西欧の科学的天文観がそのまま 取り入れられていると思うと誤解します。 梅園の天文観は、いわば生態学的天文観とでも言うべき物です。 6882: 虚実は球を合して。同胞連胎なり。 (連は代用文字) 6883: G0139U-004 胎中の双児は。各おの天地を持す。 「胎中の雙児」の「胎」は天球のこと、「双児」は双子に見立てられた太陽と地球のことです。 http://www.coara.or.jp/~baika/kaisetu/087-088azu.html http://www.coara.or.jp/~baika/wiki/gengozu026-027.jpg を見ると分かります。 天地図と日影図は、それぞれ「同胞」ですが、ふたつ揃うと「連胎」となります。 天球を母の胎に見立てて、太陽と地球と双子のように見ているわけです。 このあたりは、弁証法でもないし、形式論理でもないし、ギリシャ自然学の影響でもなく、 両子(ふたご)の里が生んだ、梅園独自の思考様式だと思います。 西欧でも、17世紀あたりにまで遡れば、太陽が男性で地球が女性で、太陽の光によって、 動植物が生まれるのは、男性によって女性が子をもうけるのと同じだというような発想が あります。ケプラーなども、そういうことを書いていたと思います。 しかし、そのような思考様式で、全存在を秩序づけようとした試みは、たぶん、無いと思い ます。発想だけなら、洋の東西を問わず、いろいろとあるようですが・・・ 西欧の自然科学は、それを生んだ母体から離れることによって発展したのだけれども、生命を はぐくむ力を失ってしまったように思われます。 自然科学、および科学技術は、手綱を失った暴れ馬のようになってしまっています。 『玄語』は、地球をひとつの生き物と見るガイアの思想の先駆でもあるわけですが、 それが天球規模にまで拡張されているのが特徴です。天球そのものがひとつの生命体なのです。 なお、黄鶴の図の改竄については、 http://www.coara.or.jp/~baika/kaisetu/025b-026zu.html http://www.coara.or.jp/~baika/kaisetu/027-028zu.html の「校異あり」を参照してください。岩波版は、黄鶴版です。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                                 北林達也 参考文例の追加です。            6769: G0136U-007 (人は) 直円規矩に資(と)ると雖も、岐然の身を以て、邪曲の行に依る。 6770: G0136U-008 天地は正邪を有す。故に人物は正邪に資(と)る。 6771:  天地 正を有せずんば〉則ち物は焉(いずく)んぞ正を有せん〉 6772: G0136U-009 天地 邪を有せずんば》則ち物は焉(いずく)んぞ邪を有せん》 6773: G0136U-010 動は必ず方を有す。人は得て之(これ)を道とす。 6774:  天地は規矩を有す。人は得て之(これ)を則とす。故に よく似た発想に、 4066: 馬の天無くんば〉世、豈(あ)に馬なる者有らんや〉 4067: G0092U-012 牛の天無くんば》世、豈(あ)に牛なる者有らんや》 があります。 このあたりは、アリストテレスの形相と質料の発想に近似しています。 たぶん、マテオ・リッチ経由だと思います・・・・ > 手を上に上げて、左右に振ってみてください。その運動の様態は「曲」です。 と書きましたが、梅園的思考法がぴんとこないかも知れませんので、補足します。 簡単な思考実験です。 腕は、肩を中心にグルグル回ります。腕をもの凄く長くのばして、手が天球に届くほどに伸ばし、 肩が地球の中心に位置するようにします。 こんな手は、実際には存在しないので、手を消してしまいます。そうするとグルグル回転は、 天体の回転になります。これは「正」の運動です。 逆に、天体類の回転運動を、人間の腕の長さに縮めて、腕がそれに従って動くとすれば、それは 肩関節の運動になります。これは「曲」の運動です。 地球を自転車で一周した人は、「曲」の運動をしました。 人工衛星は、「正」の運動をしています。 『贅語』に、人間の背丈を宇宙の果てまで伸ばして足元を見たら、太陽系も点のようにしか見 えないと書いています。 壮大な思考実験です。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 下にご紹介する文は、何のことやら意味不明です。 6623: G0134U-001 正は直円規矩を有す〉 6624:  斜は塊L邪曲を有す》 6625: 塊なる者はLせず〉而も未だ正規を得ず〉 6626: G0134U-002 Lなる者は塊せず》而も未だ正矩を得ず》故に 6627: G0134U-003 天の運する所〉其の行を岐す〉([止支]であるが、安永本まで用いられた「岐」で代用する) 6628:  地の立する所》其の体を塊す》 まず、正と斜から、解説します。斜(しゃ)は、単に「正でない」という否定の意味しか持ちません。 Yahoo!辞書 - 斜(しゃ)に構・える から 大辞林を引くと、 [1] 剣道で、刀を敵に対して斜(なな)めに構える。 [2] 物事に正面から接するのでなく、ことさらずれた対応の仕方をする。 [3] 物事に対して十分に身構える。改まった態度をとる。 と出てきますが、『玄語』の用語としての「斜」に近いのは、[2]です。 正規の在り方に対して、ことさらにずれた様態である、という意味です。 「正は直円規矩」の「直円」は、 転持図 http://www.coara.or.jp/~baika/kaisetu/024-025azu.html を立体化してみてください。円(圓。まどか)は球のことです。中心の放射状の直線群は、 「栗毬」と言われます。 6466: G0131L-011 円なる者は円にして円〉其の形は毬(まり)の如し〉 無垠(むぎん)は以て其の大を極む〉 6467: G0131L-012 直なる者は直にして円〉其の形は栗毬に比す〉 「規矩」は、天球規模での直線と平円です。つまり、地軸と天体の回転運動の軌道です。これが 天の両極を中心にして円を描いているように見えるので、「規矩」と言われます。 Yahoo!辞書 -  規矩(きく)から 大辞林を引くと、 --------------------------- 〔補説〕 「規」はコンパス、「矩」はものさし 人の行動の規準となる手本。規則。 --------------------------- Yahoo!辞書 -  規から 大辞林を引くと、 --------------------------- [音]キ(呉)(漢) [訓]のり 1 コンパス。「規矩(きく)/定規(じょうぎ)」 2 行動や判断のよりどころとなる基準。「規格・規準・規則・規定・規範・規模・規約・                     規律/軍規・条規・新規・正規・内規・法規」 3 一定の枠・ルールにはまるようにする。「規正・規制」 ---------------------------- などと出てきます。 6624:  斜は塊岐邪曲を有す》  の「塊」(かい)は、石のような形状を指します。栗のイガのような石は存在しませんね(^ ^) 「岐」は、枝分かれの形状です。 13598: G0249U-015 動植は。其の形を塊岐にす。 とあり、『多賀墨卿君にこたふる書』に、 373: 動の枝は数定まりて下りむかい、                     374: 植の枝は数定まらずして上りむかい、                   とありますように、要するに多様に分岐した形状です。動物の足は、人間からムカデまで、 数の多少はありますが、「動の枝は数定まりて下りむかい」ます。足が上に伸びたら大変です。 では、「邪曲」とは何か? 6491: G0132U-007 山なる者は塊然の体にして〉其の形を拗突にす〉 (拗突。おうとつ。凹凸) 6492: 壑なる者は岐然の体にして》其の理を邪曲にす》夫れ (壑。がく。谷) これから、山のかたちが「拗突」(凹凸)であることがわかります。これに対して、谷が、山を下 りながら分岐していく形態を「邪」と言います。谷には水が流れます。つまり形態だけではなく 水の運動があります。この水の運動が谷を作っているのでもあります。「其の形を」と「其の理を」 の対から、梅園が、山を静的に、谷を動的に見ていることが分かります。 これは、次の文例から明らかになります。静と動の対比で動物と植物を見ています。 6719:  植は竪立の正を得ず〉以て邪の態を尽くす〉(竪立。じゅりつ。) 6720: G0135U-015 動は円転の正を得ず》以て曲の態を尽くす》然り而して 「植は竪立の正を得ず」は、植物は、地球の中心から伸びる放射状の直線のような「正形」になる ことはできない、という意味です。であるから、谷と同じような枝分かれの形態を、ありとあらゆ る形状で表すことになります。 「動は円転の正を得ず」は、動物は、星のような一定の軌道を得ることが出来ないということを意味 しています。「正形」に対して言えば、「正理」を得ることが出来ないわけです。 形態に対して「形」を、運動の軌道(みちすじ)に対して「理」を用います。 次のような文例もあります。 6740: G0135L-010 正円は平を用いず〉規は能く平を為す〉 6741: G0135L-011 正直は竪を用いず》矩は能く竪を立す》 6742: 平円ならず之を曲と謂う〉 6743: 竪直ならず之を邪と謂う》 <北林訳> 6740: G0135L-010 球体は平面を用いない〉恒星の軌道群は平面を為すことができる〉 6741: G0135L-011 地球の中心から伸びる放射状の直線群は固定的な直線を用いない》地軸や黄軸は           固定的な直線を立てることが出来る》 6742: 平らな面でないものを「曲」と謂うことにする〉 6743: 固定的な直線でないものを「邪」と謂うことにする》 谷は、山と違って地表に近づこうとする運動を持っているのですが、地表のように平らではありません。 平らになったら、もう谷はありません。鳥の飛行も、動物の移動も、平円に沿っては居ますが、変化せざ るをえません。故にその運動の様態は「曲」です。 このような文例もあります。 6623: G0134U-001 正は直円規矩を有す〉 6624:  斜は塊L邪曲を有す》 6625: 塊なる者はLせず〉而も未だ正規を得ず〉 6626: G0134U-002 岐なる者は塊せず》而も未だ正矩を得ず》故に 6627: G0134U-003 天の運する所〉其の行を岐す〉 6628:  地の立する所》其の体を塊す》 <北林訳> 6623: G0134U-001 正しい形には、地球の中心から伸びる放射状の直線群と、天球に至るまでの球形と、           恒星の軌道である平らな円と、地軸・黄軸などの直線がある。 6624:  それ以外の形には、石のような塊と、枝のような分岐と、不定型で多様な枝分かれと、           地表に沿った運動がある。 6625: かたまりは枝分かれせしないが、まだ正しい円を得ていない。 6626: G0134U-002 枝分かれはかたまりにならないが、まだだ正しい直線になっていない。だから、 6627: G0134U-003 天体が運行するにおいては、その軌道が変化する。(軌道が星の枝と見なされる) 6628:  地球の形成においては、その形態は塊状になる。 参考に次の文例を挙げます。 6767: G0136U-006 唯だ人は天地を知るに足る。 6768:        唯だ人は天地を行くに足る。 6769: G0136U-007 直円規矩に資(よ)ると雖も、岐然の身を以て、邪曲の行に依る。 手を広げてよく見てください。指が枝分かれしているでしょう・・・ その形態は、動物の「岐」です。 手を上に上げて、左右に振ってみてください。その運動の様態は「曲」です。 車で山道を走ってみてください。飛行機を想像してもいいですよ。上がったり下がったり するでしょう・・・ その運動の様態は「邪」です。 拳を握ってみてください。その形は「塊」です。 水道の水が下に落ちるのは「竪直」(じゅちょく)に沿っているからです。 もうひとつ、参考の文例を挙げておきます。 6747: G0135L-013 地は拗して水の平布を容る〉(「地」は地球のこと。「水の平布」は、海のこと) 6748:   突して燥の混円に居る》(これは、陸のこと。「燥の混円」は大気のこと。) 6749: G0135L-014 艸木は邪にして立す〉 6750: 鳥獣は曲にして俯す》然り而して 『玄語』では、地表の小動物類から、天球に至るまでの存在物を、ひとつの基本構造の バリエーションを通して理解しようとしています。 だから、星の軌道は、星が出す枝なのです。相対性理論では空間のゆがみになりますが・・・ 樹木が枝を伸ばすのとは、様態が違いますが、進行方向に伸びて(移動して)いることに於いては 同じであるわけです。生態学的天文観とでも言いましょうか。どこまでも生態学的に存在を見る わけです。『玄語』の思考の適用範囲の拡大方向の限界がこのあたりに見えるようでもあります。 それらの基本構造は、最後には「条理」に帰着することになります。 『玄語』は、少しも形而上学を論じていません。 形而上学的に『玄語』を論じるのは、論者の誤解に過ぎません。だからこれまでの論文は、 ほぼすべて誤解です。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 6634: G0134U-006 望遠鏡の窺う所、日月の体は、文章を有すること地の如し。 「望遠鏡」という言葉はいつから使われ出したのでしょうね。ガリレイの観測が、 『天経或問』などを経て、梅園やほかの江戸の知識人に伝わっていたのでしょうか? あるいは、浅田剛立の観測でしょうか?? 考証を要します。 とにかく基礎研究が足りない・・・ *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 夫婦を「配偶者」というは、条理的というお話です。 15803: G0010U-002 男女は、偶なり。 15804: 夫婦は、配なり。 ほらね・・・・ 15805: 男女を以て夫婦を配す。配の善なる者なり。 うちは、仲良し夫婦です(^^) 11831: G0220L-003 夫婦は〉則ち疏(そ)より親(しん)に来たる〉 そりゃ、もとは他人ですから・・・・ 15806: G0010U-003 善と雖も亦た人なり。故に 15807:        夫婦は転ぶこと有り。男女は変ずること無し。天人の別なり。 生き別れ、死に別れ、いろいろありますね・・・・。無いように努力しています。 分かれても、男は男、女は女のままです。人は変われど天は変わらず・・・。 たしかに「天人の別」です。 ---- 男女は、条理の対(つい)ですが、誰とでも仲良くはなれませんな・・・・ 女性専用列車に間違って乗ってしまった男性が、次の駅まで両手を挙げたまま外を見ていた という話しがあります。そのときの女性たちのまなざしは恐かったそうです。 # 男と女の 間には深くて暗い 川がある。誰も渡れぬ 川なれど エンヤコラ 今夜も舟を出す・・・・ う~む。条理的ですなぁ・・・・。疏(そ)と親(しん)の関係を、見事に表現しています。 市町村の戸籍係の人は、毎日、婚姻届(配)と離婚届(転)の書類を受け取っています。  受理しました・・・・  受理しました・・・・  受理しました・・・・ 受理しないわけにはいきません。人間不信になりませんかな?    *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 神出鬼没の怪盗ルパンと、はみ出しものの与太郎のお話です。 怪盗ルパンの行動は、なかなかに条理的です。 鬼没のルパン ・・・ どこにいるのか分からない。いつどこに出てくるのかも分からない。この状況がドラマ            の支えになっています。 神出のルパン ・・・ 出てきたルパン。周囲が度肝を抜かれるようなことをする。ベテラン警部ガニマールが            必死の形相で捕まえようとする。日本のアニメでは、銭形警部。ときにピストルも撃つ            が当たらない。捕まえようとするのも、ピストルを撃つのも、現れたルパンに「感応」            している(感じて、応じている)わけです。ルパンの行動は、警部の行動に「感応」し            ます。「あばよ、アホ警部!」ってな具合です。 日本版アニメの「ルパン三世」を、そういうふうに見ると面白いです。「鬼神」を理解するのに、こんな良い 教材はありませんよ(笑) 3501:      天地は〉則ち鬼神の、能を伸ぶるの地なり〉 3502: G0084U-010 鬼神は》則ち天地の、活を致すの物なり》而して対に偶与有り。 3503: G0084U-011 以て親疏を分つ。知通じ感求め、物に随って態を変ず。 偶与(ぐうよ)は、「偶」と「与」(與)です。 偶 ・・・ 「出」と「没」の対。同時に存在することは出来ません。 与 ・・・ ルパンが登場している時に出会う様々な人や物です。ルパンが登場しているときの銭形警部       は「露中の偶」(現れた世界での対立関係)の存在です。早撃ちのガンマン次元大介や、斬       剣の使い手の石川五右衛門、美人で悪女?の峰不二子などは「与」(対立しない関係)の存       在です。様々なものに感応してドラマを繰り広げます。 3502: G0084U-010 鬼神は》則ち天地の、活を致すの物なり》而して対に偶与有り。 なんだか難しいですが、「活を致すの物」があるから活劇なんてものも成り立ちます。お芝居、漫画、ア ニメ、アクション映画、どれも同じです。「鬼神」が「活を致す」から、つまり、潜在的なものと顕在的 なものが交錯して、泣かせたり、笑わせたり、ハラハラ・ドキドキさせたりするから成り立つわけです。 ------------ 与太郎という名前の「与」も、なんだか条理的です。余分なもの、はみ出したものという意味があるよう です。与太話(よたばなし)、与太者(よたもの)など、正規のものではないものの代名詞のようになっ ています。それが面白い。 男女は、条理的存在ですが、太郎と花子となりますと「与偶」となります。太郎と花子が道ですれ違うと します。 そのまま通り過ぎるかも知れませんし、恋に落ちるかも知れません。すべて鬼神の感応です。もし、 結婚して子供が出来れば、それは、条理のなせる技です。太郎と花子は仲良くしただけです(笑) 現実の世界は、そういうことばかりなのです。だから、 3501:      天地は〉則ち鬼神の、能を伸ぶるの地なり〉 (北林訳) 3501: 世界は、予測不能な潜在的なものと出現した顕在的なものとが、互いに変化と活動を繰り広げる場所である。 そういえば、いま一緒に暮らしているお連れの方も、鬼神の感応の結果ですね・・・・ たまたま、そうなったというだけのことです。その上に現実世界が成り立っています。 お見合いなんて、何回目かで決まるのでしょうが、まるでくじ引きですね。以前、10回目で決めたという 人がいましたが、その人の言うのには、最初の女性が一番良かったと言うことです。あくまでも第一印象が、 ということですね。 3501:      天地は〉則ち鬼神の、能を伸ぶるの地なり〉 なかなか含蓄があります。「地」を場所ではなく「舞台」と言い換えると、また妙味が出てきますが、 近代以降、あまりよい舞台ではありませんな・・・・。良い演出家が居ない証拠です。 世界もしょせんは、舞台のようなものですから、演出をしないといけません。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 > 梅園が、重力を考えていたのか、あるいは、圧力や密度を考えていたのか、ちょっと分かりません。 5903:  何となれば則ち今試みに気中より縄を以て石を繋ぎて〉而して 5904:        諸を千仞(せんじん)の岸に下せば〉 5905: G0122L-011 重は下に援(ひ)きて〉而して力は復(ま)た挙ぐる可からず〉 このあたりは、重力についての思考であるようです。 5906:  亦た試みに姑(しばら)く身を水底に潜め》 5907: G0122L-012 空器に気を盛り〉 5908: 綸(いと)して諸(これ)を千尋(せんじん、ちひろ)の上に上ぐれば》 5909: G0122L-013 軽は上に引きて》而して力は復た潜(しず)むる可からず》蓋し 5910: G0122L-014 勢は反し力は侔(ひと)しく事は殊にして意は同じ》 これは浮力についての記述です。 重力で沈み、浮力で浮くのは、沈む・浮くという相反する事象であるけれども、力の方向が ちがうだけにすきない、と、考えていたことが伺えます。 重力、浮力、圧力 などに関する記述には注意する必要があります。 福沢諭吉が steam engine を訳すのに非常に苦労したことは以前にも書いたことがあります。 当時の日本には、蒸気という言葉はなく、湯気が最も近い言葉でした。しかし、福沢は、湯気機関 では、steam engine の訳としては、不適切だと言うことに気づいたわけです。ここが江戸から明 治にかけての教養人の凄いところです。 空気という言葉もなかったので、最初は、LUFTという言葉の翻訳が出来ませんでした。 三浦梅園は、物理概念が言語化される前に、独自にそれについて思考していたと思われます。 その流れは、高橋正和氏の指摘したとおり、おそらく明代末期から清初初期にかけての儒学派の 自然学の系譜であるのでしょう。その淵源は、おそらく氏が指摘したとおり、マテオリッチに よって、紹介された古代ギリシャの自然学(アリストテレスの自然学)であるのでしょう。 【マテオリッチ】(1552-1611) イタリアのイエズス会士。中国名、利瑪竇(りまとう)。明末中国に渡り、徐光啓ら知識人と交わり、 北京居住を勅許される。中国イエズス会の基礎を築く一方、漢文の著作により近代科学思想を東洋 に紹介。著「天主実義」「幾何原本」「坤輿(こんよ)万国全図」など。                      (Yahoo!辞書 - マテオリッチ【Matteo Ricci】) この知的系譜については、ほとんど研究する人が居ません。高橋正和氏は、アウトラインを示しま したが、有無を言わせぬほど膨大な資料で自説の裏付けをするという努力はしませんでした。 14: [一二] 物は性を有す〉性は物を具す〉性は物と混成す〉而して罅縫無し〉故に其の一や全なり〉 の「物」の訳には「質料」がもっとも妥当性が高く、「性」には「形相」がもっとも妥当だと考えています。 梅園が、独自にこのような概念に到達したと考えるよりも、『天経或問』(てんけいわくもん)や 『物理小識』などから、知識として獲得した概念であると考える方が自然です。 このあたりからは、国際研究が必要になります。『天経或問』『物理小識』『玄語』は、すでに 電子文書化されていますので、容易に突き合わせることが出来ます。超漢字のトロンコードなら、相手 のコードに関係なく読み込めます。 おそらく、西洋人の知らない「地球の裏側の世界史」が発見されることでしょう。 それにしても日本の大学は基礎研究が足りない・・・・ *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 「鬼神」って、何のこと? というお話です。 『玄語』の中でまだほとんど触れられていない用語のひとつに「鬼神」があります。 「おに」と「かみ」と思っている人も居るかも知れませんので、ちょっと解説しておきます。 文例 376: G0025U-015 事物の間〉鬼神は感応す〉 377: G0025U-016 造化の中》天命は当遇す》 3563: G0085U-008 支えて鬼応す〉 3564:      走りて神感す》 語の対応としては、「神」が「感」じて、「鬼」が「応」じることになります。 たとえば、男女が結婚して子供が生まれるとします。男の子が生まれるか、女の子が生まれるか 分かりません。予測不能であるわけです。潜在的・可能的に存在しているが、今は予測が出来ない もの、つまり「没」の状態にあるものを「鬼」(き)といいます。生まれてきて初めて、子供の顔 を見ることが出来ます。 単純に言いますと、「鬼」は「予測不能性」のことです。 選挙の結果なんてものも、ふたを開けるまで分かりません。潜在的には、結果は出ているわけで す。しかし、その結果を求めて、必死で票を数えます。「神」(しん)が走っているわけです。 めでたく当選、残念ながら落選、という結果が出てしまえば、もう「鬼」はありません。 歓喜と落胆は、「神」の「感」です。 12220: 鬼神の出没は、惟だ是れ感応なり。 まあ、そのとおりです。いつもの毎日のようでありながら、何が起きるか分かりません。 「鬼」が「没」している(潜在的に存在している)からです。ですから、無事に毎日が過ごせる ように注意しながら暮らしています。交通にもルールが要り、白バイや覆面パトカーが走ってい るのも、「鬼」が顔を出さないようにしているわけです。 だって、「行ってらっしゃい」っていつものように送り出したのに、「いま、交通事故にあって 病院に運ばれました」なんていう電話がかかったら、大変ですから。 占いなんてのも、そういうふうに見ると、面白いですよ。あれこれ分かったようなことを言っ ているのは、結局、将来の予測に過ぎません。まだ生まれていない子供の顔を絵に描いている ようなものです。 日々、神出鬼没の毎日です。 2580: 換に造化の通気有り〉 → 生死の反復がもたらすものは「造化」です。 2581: G0065L-007 変に鬼神の活態有り》 → 日々の変化は「鬼神」の出没です。 11889: G0221U-016 鬼神の態は。向かう。背く。順う。逆らう。有り。無し。存す。亡す。 11890: G0221U-017 意を以て之を索むれば〉能く意外に遊ぶ〉(予測不能だから) 11891:        常を以て之を求むれば》常中に居らず》 (予測不能だから) 「子供は絶対に親が思っているようにはならないからね!」って、よく言われます。 人生は思い通りになりませんな・・・・。常勝って言ったって、いつかは負けますね。その いつかがいつ来るのかは、誰にも分かりません。だから「鬼没」です。 個人的なことですが、ひところは、毎年のように高嶋易断の本を買っていました。 12480:        鬼神に於て役せられ》因果に陥る》 12481: G0230L-018 之を数に問い》之を前定に委(ゆだ)ぬ》其の蔽や愚なり》 今年も買いました。私は典型的な三碧木星です。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 梅園は重力を知っていたか? というお話です。 転持図 http://www.coara.or.jp/~baika/kaisetu/024-025azu.html の同心円に囲まれた放射状の直線群(梅園は、これを栗のイガ-栗毬-に喩えています)は、重力線 を連想させられます。とはいえ、一般相対性理論が登場してからの重力概念は非常に複雑で、このよ うな単純化された直線群構造は、モデル的・便宜的な説明の手段としてしか使われません。ニュート ン力学の段階なら、物理的実態として使えたでしょうが、現代では通用しません。 6466: G0131L-011 円なる者は円にして円〉其の形は毬の如し〉 無垠は以て其の大を極む〉 6467: G0131L-012 直なる者は直にして円〉其の形は栗毬に比す〉 6466:が、外側の同心円を、6467:がその内部の直線群を示してると考えられます。 5887: G0122L-003 天に親しんで気に之けば〉則ち其の勢は軽を為す〉(之けば:ゆけば) 5888: G0122L-004 地に親しんで質に著けば》則ち其の勢は重を為す》此を以て(著けば:つけば) 5889: 軽浮の勢は勝れば》則ち重と雖も沈むこと能わず〉 5890: G0122L-005 重沈の勢は勝れば》則ち軽と雖も浮くこと能わず》 「軽浮の勢」が勝っていれば、たとえ天体類が重くても、落ちてくることは出来ないわけです。逆に、 「重沈の勢」が勝っていれば、たとえ羽毛が軽くても、どこまでも天に昇って行くことは出来ないわけです。 「転持図」の同心円に囲まれた放射状の直線群の中心は、地球の中心であるわけですが、ここには、 ものすごい圧力がかかっています。では、地球の中心が潰れないのは何故か?? <空間についての記述> 4911:       既已(すで)に物を露すれば〉則ち小の小と雖も〉猶お破る可きなり〉而して  4912: G0107U-011 中は則ち破る可からず〉 4913:       破る可からざる者に非ざれば〉 4914:       奚(いずく)んぞ天地を載せて撓(たわ)まざるを得ん〉← 【※注目】 <時間についての記述> 4915: G0107U-012 既已に頃を刻すれば》則ち短の短と雖も》猶お剖す可きなり》而して 4916: G0107U-013 今は則ち剖(さ)く可からざるなり》 4917: 剖く可からざる者に非ざれば》 4918: 奚んぞ万露を湊(あつ)めて遺(のこ)さざるを得ん》 <空間についての記述> 5263: G0112U-003 処なる者は〉天動地止の処なり〉 5264:        虚なる者は遠く浮く〉 5265:        実なる者は深く沈む〉← 【※注目】 5266: G0112U-004       遠浮深沈は共に露す〉      而して 5267:        立する者は能く容し能く載す〉  而して 5268: G0112U-005       中の微は〉此の広大を露す〉 <時間についての記述> 5269:  時なる者は》神為天成の時なり》 5270: G0112U-006       前なる者は将に来たらんとす》 5271:        後なる者は引きて去らんとす》 5272:        将来引去は共に隠る》      而して 5273:        当たる者は随いて見われ随いて隠る》而して 5274: G0112U-007       当の忽は》此の攸久を成す》 5447: G0116U-002 中なる者は〉無内の一点なり〉← 【※注目】 4912: G0107U-011 中は則ち破る可からず〉は、「中」が無限小の一点であるから破壊できないという意味です。 これを「無内の中」と言います。文例は、 1050: G0039L-001 物は》塊焉として処に居る者なり》(塊焉として:球状の塊-かたまり-として) 1051:       無内の中に乗る》← 【※注目】(無限小の一点に乗る、の意。) 1052:     無外の外に充つ》故に     (無限大の広がりに充満する、の意。天球までをも含む。) にあります。 こういう文例を見ていくと、梅園は重力を知っていたか、もしくは、同等のものに思考を的中させていたのでは ないかと思えてきます。 知識として、外から頭に入ったか、それとも自分の思考によってそれにたどり着いたかは、まだわかっていま せん。それを知るためには、読書ノート「浦氏手記」と書簡類を丹念に調べる必要があります。 そのあたりは資料館の学芸員さんの仕事でしょうが、電子文書化ができれば、研究の精度が大幅にアップする でしょう。 『玄語』が近世日本の偉大な知的業績であることをお察しいただけるでしょうか? 『玄語』は、日本が、国家の知力を総動員してでも、早急に解明すべき偉大な業績であるのです。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 形・体・用 の文例  六三〇八     其の形を同じくすと雖も〉而も  六三〇九     體 異なれば則ち用は同じからざるなり〉故に  六三一〇     同一の土泥は 之を瓦にすれば則ち風雨を覆う可し〉   六三一一            之を甕にすれば則ち酒漿を盛る可し》  六三一二     同一の木片は 神を模せば而して後に頻繁の敬を致す可し〉   六三一三            屐を削りて而して後に土泥の汚を避く可し》(屐:はきもの) 非常にわかりやすい例ですね。 「形・体・用」は、手にとって使うような身近なものに対して使うようです。 同じ石でも、仏を刻むか、墓石にするかで、人の応対が違ってきます。 『玄語』は形而上学を論じません。形而下学(けいじげがく)に徹しています。 ただ、それを一貫して構造的に論じているため、形而上学的に感じられるところが多く なっています。 上出の文のようなパターンで、天球も、時空間も、一貫して論じ尽くすのです。 だから、 二六七    剖すれば則ち分分分分〉零に至り砕に至る〉末は猶お本のごとし〉 二六八    対すれば則ち合合合合》二に帰し一に帰す》本は猶お末のごとし》 と書かれているわけです。 構造は一貫して変わりません、ということです。これを「条貫」といいます。 二分木構造の首尾一貫性の主張です。 どこが、形而上学なんだろう??? 玄語の論理-その1- の中の形而上学に関する記述には、疑問が生じます。 ---------------------------------------- (四・二・一) 大物小物の関係 「一元気」と「神・物」とは論理的な「大小」(内含)の関係であり、その場 合、「一元気」の全体性は「大物」また「天地」と呼ばれ、後者は「小物」また は「小天地」と呼ばれる。その関係は次の如き特性を持って居る。 (1) 大物は能動(「給」)であり、小物は受動(「資」)である。 (2) 大物は全体(「容」)であり、小物はその全体の内に位置する(「居」) 部分である。 (3) 大物は自己の内に自己同型の写像を行なう無限者である。 (4) 小物は大物と同型な部分であり、「小天地」であり、一種の単子 (monade)である。(ただしこれはライプニッツ (Leibniz)の単子とは違っ て、単子と単子との間で相互作用をなす。) ---------------------------------------- この「大物」の解釈は、かなり疑問です。高橋正和氏の「天文気象現象の総称」というのが もっとも的確で、これ以外に適当な定義は、いまだに思いつきません。 論理的な内含の関係に置いて見れば、そのように言えます。 # 「一元気」の全体性は「大物」また「天地」と呼ばれ、後者は「小物」また   は「小天地」と呼ばれる。 に該当する文例があるかどうか、疑問です。これは末木剛博先生の<解釈>です。 『玄語』の中で「玄」を含む全文例を挙げておきます。この前後を見れば、答えは 出てきます。 G0020U-011 は、梅園全集 20頁 上段 11行です。 下段はLです。 これは、浜田版を検索用に編集し、読み下したものですが、超漢字版を作った後でも、 未だに重宝しています。 1: G0020U-011 玄語目次 9: 玄 語 81: G0021U-017 是か非か。元気の玄。明を開し幽を閉す。 488:      幽玄の界に入る。 1128: 玄 語 活 部 1130: G0044U-001 玄語目次 1137: G0044L-001 玄 語 3023: G0074U-001 玄語目次 3029: G0074L-001 玄語 4846: G0106U-001 玄語目 4855: G0106L-001  玄 語 4868: 体は〉散結して玄界に入り〉覆載して文章を具す〉 6832: G0138U-001 玄語目 6841: G0138L-001  玄 語 7189: G0143U-013 無垠は玄界に入る》 9728: G0189L-001  玄 語 目 10481: 玄ならざるに於て玄莫し〉是を以て 10482: G0200U-007 玄なるに於て玄ならざるは莫きなり》 12048: G0223L-011 高明幽玄に非ざれば。則ち愚に適し惑に応ずる者は。衆を安んずる者の用に非ず。 12314: 終に自ら以て天を極め地を悉し。幽に入り玄を鉤す。 12844: G0236U-018 玄語人部 12846: G0236L-001 玄語 12853: GO236L-001 玄 語 15354: G0002U-002 玄語 15491:        指すに従いて之を徒にす。能く玄を読む者に非ざるなり。 15850: G0011U-002 ○玄語已に草す。直ちに其の見る所を説く。重ねて著贅語十数万言。 15851: G0011U-003 衆説を会して。之を條理に断ず。贅とは。玄に贅するなり。 15852: G0011U-004 善く玄を読む者は。贅を用うる莫し。天地已に在り。 15853: 而して又た役を筆硯に属すれば。則ち玄も亦た已に贅す。 15854: G0011U-005 善く観察する者は。又た玄を用うる莫し。然りと雖も。 15858: G0011U-009 贅も亦た用う可し。是を以て。贅は玄に贅すと雖も。事は則ち相い出入す。 15865: G0011U-013 彝倫の次序。形体の分属の如きに至りては。則ち玄に略す。而して 15870: G0011U-017 玄語の如きは。則ち言論古人に假ること無し。 15871: G0011U-018 贅敢は世と酬醋の態を為す。便ち玄の無き所にして。而して贅敢の設くる所なり。 16111: G0016U-008 ○玄語の次目は一に條理に従う。贅語の如きは。 16116: G0016U-012 是れ玄贅の異なるなり。敢語は贅語に同じ。 16138: G0016L-011 玄語例旨 16200:        一元気は玄なり。 16201: G0017L-017 二なる者は一を挙げて一を闕く。具を言いて闕を見す。亦た玄なり。 16202: G0017L-018 或ひと曰く玄にして玄ならば。則ち何ぞ子の言に待たん。 16203: 玄にして玄ならずんば。則ち何ぞ玄を言うを用いん。 16204: G0018U-001 玄を言うを待ちて而して後玄ならば。玄は玄と為すに足らず。 16205: G0018U-002 玄 玄を言うを待たずんば。何ぞ子の言に益せん。曰く故に玄なり。 16250: G0018L-018 一を挙げて一を闕う。具を言いて闕を見す。故に玄と曰う。 16251: G0019U-001 或ひと曰く既に玄なり。何ぞ玄を言うを為して。言を以て示さんや。 16252:        何を以て玄とするやと。 16253: G0019U-002  玄にして玄ならば。何ぞ子に待たん。玄にして玄ならずんば。 16255: G0019U-003 予答えて曰く。故に玄なり。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 > (3) 小反対対当と考えられる場合。 --生物(「動植」)における「横 > 竪」。(「横でない」ことは「竪」であり、「竪でない」ことは「横」である。 > しかし「横」と「竪」との中間もありうるので、「横」が「竪でない」となる > か否か不定であり、「竪」が「横でない」となるか否かは不定である。) 地球の中心から、放射状に伸びる直線群、つまり、 転持図 http://www.coara.or.jp/~baika/kaisetu/024-025azu.html の同心円に囲まれた直線群(「雲雨升降」の領域)を、動いて横切るか、静止して沿う ように伸びるか、という在り方の相違が、動植物の基本様態の相違であるわけです。  六二二七    是を以て植は靜を以て形體の變を極む〉  六二二八        動は動を以て動作の變を極む》 という記述があります。基本はそうですが、「動植物すべてがそうである」とは、梅園 はどこにも書いていません。 末木剛博先生ほどの碩学でも、読み込みが足りずに論を立てると躓くということです。 これまでの梅園研究は、読み込み不足の論文のオンパレードでした。 そのほとんどは、文例を突きつければ壊れます。 ただ、「玄語の論理-その1-」そのものは、極めて重要な業績です。 ウイン学団との対比がどれほど重要な意味を持つのか、気づかない人の方が多いと思 いますよ。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也  六〇七〇    地質は止物なり〉   六〇七一    天象は動物なり》  六〇七〇    地表にある動植物類・鉱物類は止まっている物である。   六〇七一    上空にある天球・太陽・月・恒星・惑星群は動く物である。 動物=動×物 だから、 動物=animal というわけではありません。 993: G0038L-011 天動は東西す〉 994:       地動は升降す》→ この「地動」は、雨や雪、煙、雲などのことです。 995:       天動は循環す〉 996:       地動は鱗比す》→ この「地動」は、動物 animal のことです。「鱗比」は                     世代交代の様態を鱗が並ぶ様子に喩えたものです。 993: G0038L-011 天動は東西す〉 994:       地動は升降す》 は、運動の方向についての記述。 995:       天動は循環す〉 996:       地動は鱗比す》 は、運動の様態についての記述。 ある人が、「天動」を天動説の意味に、「地動」を地動説の意味に取っていて、思わず苦笑した ことがあります。 『玄語』は、いたって平明に書かれています。語法が現代と違うだけです。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 <梅園自筆> 一六〇三三     晉(すすむ)の斯の書に於るや、大なる者は提げ、小なる者は從えば、 一六〇三四     則ち後世綱目の設、幾(ちか)し。然りと難も其の細書する者は。 <黄鶴校訂版> 一六〇三二     晉の斯の書に於るや、大なる者は提げ、小なる者は從えば、 一六〇三三     則ち後世綱目の設と相い似て亦た同じからず。目は、專ら綱を守る。 「幾(ちか)し」でも「相い似て亦た同じからず」でも意味はさほど変わらないのですが、 この「後世」の「項目の設」に「幾し」(ほとんど近い)というのは、不可解ですね。 この「項目の設」の一覧は、私のHPに公開しているとおりです。 http://www.coara.or.jp/~baika/kaisoutbdb.html (テーブル表示) http://www.coara.or.jp/~baika/kaisou01.html  (階層表示) これがコンピュータのファイル構造と同じものであることは、何度も述べてきました。 (というか、誰が見ても否定しようがないと思っています。) これにほとんど近いと・・・・・ 予言したのでしょうか? 謎です。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 一五九一七     蓋し和漢の言の異なる。彼は則ち一音に一義を具す。上下主客。以て之を運用す。                      ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 一五九一八     我の如きは則ち音に義を具せず。數音を合して。而して一義を成す。 これが、梅園が初期『玄語』稿本において、和文から漢文に記述方法を改めた理由であろうと推測さ れます。 『玄語』は、一語一義を原則とします。例外は、同胞・れん胎、循環・鱗比しか、いまは思い当たり ません。 れん胎 の れん の字の確認はこちらで出来ます。 http://www.coara.or.jp/~baika/kaisetu/087-088azu.html 同胞は、中心を共有しているから同胞です。れん胎は、水燥と日影の両圏のことで、中心を 共有しません。 太陽と地球を宇宙の双子のように考えているのがユニークです。天文現象まで生態的に捉えるわけ です。こういうのを天文学と言っていいかというとちょっと疑問です。自然科学で一般的に言われ る天文学とは、まったく別の体系です。 条理という general system の中に、天文学に相当する部分があると言うだけことです。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 玄語は圧縮ファイルのようなものだと考えられます。 本文そのものは、同じなのですが、 変化錯綜の読み と 条理整斉の読み は、 返り点送り仮名に従った読み(線路で言えば単線) と 白黒の傍点に従った規則的な読み (線路で言えば、単線-複線を繰り返す読み) の違いがあります。 単線は、白丸の行で書かれ、複線は、白点、黒点の一対の行で書かれます。 この二種類を別々のものとして、二種類の書いておけば、わかりやすかったでしょうが、手 間を考えると、そうはいきません。 まして、未完の書物です。そういう「展開」にまではたどり着けなかったわけです。 それで、そのような本であることを  此の故に斯の書の文は、物に於ては、條理整齋に務め、             事に於ては、運爲變錯に出づ。 という風に表現しておいたのだと考えられます。 この推論が正しければ、当然ながら、玄語の展開(解凍)があり得るわけです。 いま、せっせと「運爲變錯」の玄語を作っています。 遠からず、両方ともネット上で閲覧できるようになるでしょう。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 この圧縮ファイル型(後期完成期型)の『玄語』が作られたのは、第何稿目からであるか を確認する必要があります。 返り点、送り仮名と、白黒の傍点を両方とも持った玄語は、いったい、第何稿目から書か れたのでしょうか? こういう稿本の研究が、実におろそかであったのが、これまでの梅園研究でした。 これからは、そうであってはいけません。もっとも、応用研究となれば、また別ですが。 私も応用研究から入った人間なので、文献調査にはもともとは興味がありませんでした。 私の手元には、第十二稿目の『玄語』乾(けん)の複写(湿式コピーから作成) がありますが、これには、そういうレトリックはありません。ほぼ白文の状態です。 乾式コピーで撮り直すと、白ヌケがかなり無くなって読みやすくなります。 初期稿本をもとに論文を書くなら、この辺りを扱うと面白いですが、誰もやってない(爆) 逆に言うと、これからやれる(笑) *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 『玄語』では、周知のごとく、図と文が一一に対応します。 さらに、文は、条理整斉の読みと変化錯綜の読みが一一に対応しています。 まあ、これは、35年も『玄語』だけを読んできて、それもコンピュータの助けを借りて 何度も編集して初めて分かったことですから、これまでの研究者が分からなかったとして もそれを攻めることは出来ません。 梅園と同時代の人は分かっていたでしょうが、その後、日本が一方向的な西欧化の流れに 押し流されていく過程ですっかり忘れ去られてしまいました。 版下本は、恐らく完成しており、三浦家にないものは、返却されていないものであり、 岩波版に使われた図が、この版下本の、返却されていない、連れ合いの図であろうと思い ます。 従って、版下本は、本文と図が、分離された形で作られたものと思われます。 このあたりになると、田口正治先生の交渉もいささか曖昧になっています。 これから、三浦梅園新時代が始まると思いますよ・・・・ *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 115474 : G0004U-010 ○物は経緯を有す〉諸を文辞に寓するに〉経は先後に由て序す可し〉 15475 :                          緯は両辞斉発す可からず〉 物 ― 経 ― 返り点送り仮名に従った読み ― 版下本   \      緯 ― 黒点白点に従った読み    ― 写本939 という対応がつきます。 おそらく、版下本と写本939は姉妹編だろうと思います。版下本は恐らく完成しており、 三浦家に所蔵されていないものは、たんに返却されていないだけだろうと思います。版下本 は、図と本文が分離された構成で、図は、おそらく岩波の図版に使われたものが、それであ ろうと思います。33回梅園学会で発表した時までは、黄鶴と矢野弘が版下本を完成させる ことなく世を去ったものと思っていましたが、どうやら返却されていないだけと考えた方が 良さそうです。 このふたつは、姉妹編として、回し読みされたものと思われます。江戸時代研究の専門家の 指摘によれば、これは、江戸期の出版の一形態であったと言うことですから、『玄語』は、 ふた通りの体裁で出版されていたことになります。 二行一対形式で編集した場合、「緯は両辞斉発す」ることになります。写本939を読んだ 人は、この辺りのことは当然のこととして読んでいたと思われます。 梅園没後しばらくは、梅園全集以降よりも、『玄語』の出版においては、はるかに進んでい たことになります。また、 一五六七六     運爲變錯。目。之が爲に眩まするなり。此の故に斯の書の文は。 一五六七七     物に於ては。條理整齋に務め。事に於ては。運爲變錯に出づ。 とあります。 斯の書の文 ― 物 ― 条理整斉 ― 白黒の傍点に従った読み ― 写本939       \         事 ― 運爲變錯 ― 返り点送り仮名に従った読み ― 版下本 となります。現在、復元版の条理整斉版(物の読み)は漢文版・総ルビ読み下し版ともに、 いちおう出来ており、変化錯綜版(あるいは、運爲變錯版。事の読み)を作成しております。 サンプルは、 http://www.coara.or.jp/~baika/data/inyou.jpg にあります。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 岐と[止支]の使い分けについてのお話です。 安永本では、岐を使い、浄書本では[止支]を使います。 梅園全集では、植字工が勝手に両者を使い分けています。誤植で、てんでばらば らです。 版下本は、[止支]で統一しています。 ただし、例旨の「図有双岐」は、「岐」を使っています。写本939も同じです。 この使用語彙の違いは、とことん迷い、とことん混乱したものなので、ちょっと 文字に恨みがあります。 梅園が書いた通りに復元するというのもひとつの方法です。そうすると、樹木の 枝分かれを示す場合の用法が、[止支]と「岐」のふたつあることになります。 たとえば、地冊没部と小冊物部で、[止支]と「岐」のふたつの用例があることに なります。 この辺りのことは、黄鶴と梅園の間で相談したでしょうから、黄鶴の校訂に従っ ています。 復元作業も、最低限の編集はやむを得ないと思っています。黄鶴や玄亀の筆も 入っていますから、完全な復元は不可能ですし・・・・ そもそも、浄書本とされている地冊露部は、安永本から抜き取った部分と新たに 書き起こした部分の合体ですから、 安永本の地冊露部も浄書本の地冊露部も、厳密に言えば、無いことになります。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 記述の不整合についてのお話です。けっこう見つかりますよ。 下記のような例は、かなりあります。非常に悩ましい問題です。字面の復元という点では 簡単なのですが、解釈となると、非常に悩ましいです。傍記は、文字から判断するに、恐 らく梅園です。引き線は、黄鶴です。 訂正の文字は、梅園だが、引き線は黄鶴という例が多数あります。梅園の訂正だと断定出 来るのは、文字も引き線もそうであると判断できるものだけです。その特徴がはっきり現 れているものもあれば、不明瞭なものもあります。 3128: G0075L-013 外より保すれば則ち内より護す〉              ~~        ~~ 3129:   外に於て持すれば》則ち内に於て守す》               ~~          ~~ 3130: G0075L-014 成する所に保護持守するは。則ち天と万物と同じ。故に。                ~~~~~~~~ 3131: G0075L-015 大物なれば〉則ち天転は外より地を保す〉                            ~~ 3132:           地持は内より天を護す〉 (護に営と傍記あり)                           ~~ 3133: G0075L-016         地止は内に於て守す〉                           ~~ 3134:           天容は外に於て持す〉                           ~~ 3135:   人なれば》   気は外より身を保す》                          ~~ 3136: G0075L-017         質は内より外を持す》  (持に営と傍記あり。)                          ~~ 3137:           精は内に於て守す》                         ~~ 3138:           皮は外に於て持す》                         ~~ 結局、解釈でつじつまを合わせるしかないんでしょうねぇ・・・・・ *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 以下は、『玄語』天冊立部・鬼神の中の文です。  三六七四     狐は則ち人を魅(ばか)す 而して人の畜わう所の狗に啖(く)わる   三六七五     人は則ち鵞を食す     而して鵞の食らう所の[虫或]に中てらる  いくら「鬼神」でも、「狐は則ち人を魅(ばか)す」とはねぇ・・・。 [虫或]は、空想上の虫の名で、以前は、「いさごむし」と読んだんだけれども、いさごむしは 「沙虫」または「砂虫」という実在のミミズのような生き物の名前です。梅園先生の書き損じか、 文字の覚え違いの可能性もあります。 しかし、「沙虫」は中華料理で使われますし、生で食えるものではありませんから、「中てらる」 は中毒を起こすという意味ではないと思います。 漢和辞典を引くと「想像上の虫で、水中に住む。形はスッポンに似て、六本の足がある。人の影を 見ると砂を吹き付けて害を為す」とあります。中国の古典には、よく出てきます。「中てらる」は 「砂を吹き付けて害を為」される、あるいは、たんに「害される」という意味でしょうが、 そもそもこの虫は、実在しません。狐は、人をばかしません。 こういう記述に出会うと、  # 梅園先生、本当に見たんだろうか? 狐にばかされたことあるんだろうか? と、首をひねってしまいます。実証の対象として、迷信や架空の存在を引き合いに出したりする のは、『玄語』の理念に合いません。 これは、当時の科学的な自然認識を、自然科学的に批判できていない時代的な制約から書かれた 「例旨」の下記の記述(間違った記述)とは、性格が異なります。 15829: G0010U-018 夏にして火の発し》而して地より天に升る者と》既に探って其の主を得たり。 15830: G0010L-001 雷の体 其の人に具す。是に於て我れ其の半を言いて。而して人其の半を知る。 ここでは、雷は「地より天に升る者」つまり、地球の放電現象と書かれています。これは、当時の 一般的な科学知識だったようでし、観察しただけでは、落ちるものなのか、上るものなのか、分か りません。フランクリンが凧糸にワイヤーを使い、これにライデン管をつないで、雲の帯電が雷の 原因であることを確かめたのは、1752年ですから、まだこの情報は伝わっていなかったでしょ う。 ただし、例旨よりは、記述年代の新しい「本宗/天地」(1780年前後)には、 1000: G0038L-014 天陰は粛凝して地昜を収めば》則ち電を閃して出で》雷を発して撃つ》 と書かれていますから、この時点では、ひょっとしたら、フランクリンの実験を浅田剛立から聞い たとか、最後の長崎旅行で知ったという可能性があります。 その辺りの事情は、『贅語』や「浦氏手記」書簡類などを丹念に調べないと分かりません。 なお「鬼神」に鬼(おに)とか神(かみ)というような意味はまったくありません。たんに出没の 様態にそのような語を当てたというだけのことです。 「神出鬼没」という語に、鬼(おに)とか神(かみ)の意味がないのと同じです。 『玄語』全八冊の中でも記述年代にかなりの相違があるので、こういう不整合が起きているという 例でもあります。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 梅園全集の文字校正は、結論から言いますとほぼ、不可能です。 といいますのは、印刷会社に入稿された原稿が見つかっていないからです。現存して いるとしても探し出すのが大変でしょう。原稿がないと校正は出来ません。 では、自筆稿本を使って校正が出来るかと言いますと、異稿、異版の問題、『玄語』の ような抹消・加筆・訂正の問題があって、出来ません。 梅園全集は、当時の関係者がこのような問題に一応のケリを付けた上で、原稿に書き起 こして入稿しています。およそ、400字詰め4~5000枚だろうと思います。厚さ にして50センチくらいでしょうか。段ボールひと箱分です。いつ無くなっても不思議 ではありません。また、おそらく、文字校正の時に必要ですから、それぞれの担当者が 自宅に原稿を持っていたでしょうから、ひとまとまりのものとして存在する可能性はき わめて低いと思います。したがってほぼ、存在しないと考えたほうが良いでしょう。 したがって、梅園全集をもし作るとすれば、あらたに自筆稿本類から作り直すしかあり ません。ただし、草書・行書などを読める人が居ないと、書き起こしが出来ません。 楷書なら、画像を台湾あたりの入力専門の会社に送れば何とかなります。この場合、文 字コードを含め、電子テキストに詳しい人が居ないと、混乱します。私もさほど詳しく はありません。ただ、パソコン上に表示できない文字は、現在では、まずありません。 ですから、新梅園全集を作るとしても、<読み>という問題が壁になります。早期にプ ロジェクトを組まないと実現困難になります。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 資料館から刊行された二行一対の「玄語」の、上巻9頁、凡例十六 と、三枝博音の 『三浦梅園の哲学』627頁の <『玄語』写真版に就いて> の最初の段落を比べ てみてみると分かるのですが、 三枝は、白点と黒点の二行一対形式が理解できて居らず、2002年当時の私には、 二行一対形式の記述と、返り点送り仮名、ことに送り仮名が合わないことの理由が分 かっていませんでした。 それで、返り点送り仮名を一切無視することにしたのですが、三枝は、白点黒点を一切 無視することで(ついでに図の存在も無視することで)、訓読版を書いています。 このことで六年ほど脳の中に軋轢が生じ、ようやく『玄語』には、読みがふた通りあり、 その閲覧用として写本939と版下本が作成されていた(らしい)という結論にたどり 着き、いま総ルビの訓読版を書いています。 三枝が『三浦梅園の哲学』の原稿を書き上げたのが昭和13年(1938)、出版が昭 和16年(1941)、私が、二行一対形式で全文を編集したのが平成2年(1990)、 これが資料館から出版されたのが平成14年(2002)でした。 平成20年(2008)に至って、ようやく、『玄語』の読みの問題が解けたわけで、 出版年を見ると、1938年から実に70年が経過しています。 私以外に、『玄語』の読みに関わるこの70年の隔たりを、身を以て知っている人間は おりません。私は、『三浦梅園の哲学』から訓読版「玄語」をコピーして綴じ、30年 間、ほとんど肌身離さず持っていました。玄語について作業をするときは、必ずそばに 置いていました。そしてその読みの不可解さに非常に苦しみました。ことにこの6年は、 脳に軋轢が生じました。 私は、両者の不整合に対するこの軋轢から、<図と文で一一、文も一一>という結論を えました。 図は、さらに混成図一合と粲立図で「一一」ですから、結局、 ---------------------------------  図は混成と粲立で一一。文は白黒の傍点と、返り点送り仮名で一一。  --------------------------------- というのが、『玄語』の記述法であることになります。対応付けとしては、 図の混成 --- 返り点送り仮名 --- 変化錯綜読み(事の読み。混成読み) 図の粲立 --- 二行一対    --- 条理整斉読み(物の読み。粲立読み) となります。「変化錯綜読み」と「条理整斉読み」では、本文は同じです。それで 『玄語』は、共通する本文で両者を束ねた本に成っています。これは、ファイル圧縮 の手法に似ています。 変化錯綜読みができましたら、これらのことを序文に書いて、条理整斉読みと1セット で限定出版しようと思います。注文があれば、その都度作ります。価格は、実費となり ます。超漢字から、印刷品質でPDF化して、印刷会社から限定出版します。一回に作る部 数が多いほど、価格は安くなります。 むろん、web上に、すべての資料を公開します。黄鶴版、梅園自筆復元版が、上記の記述法 に即して、すべて公開されますし、CD化もされます。 *********************************************************************************** 子隕樹生 の隕の読み。 子(み)、隕(お)ちて樹、生ず。 隕石 = 落ちてきた石。 木からポトンと落ちるという意味ですね・・・・ 空から落ちてくる石も、木から落ちる実も、落ちることにおいては同じということ でしょう。 仮に、「子落樹生」としたら、意味が違ってくるようです。文字の比較も『玄語』に おいては、ときに重要な意味を持ちます。 落石は、転がり落ちる石です。落葉、落日、落語、落手、落伍、落胤 と並べてみると、 やはり「子落」は不適切で「子隕」の方がよいですね。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 『玄語』は様態分類学である、という観点から解読すれば、ほぼ解けます。 16009: G0014U-005 造名は〉則ち晋の私に出づ〉而して 16010:        分類は》則ち條理の天に由る》 と書かれています。 梅園学会の時にもお話ししましたが、『玄語』の分類は、系統分類ではなく、様態分類です。 従って、海鞘(ホヤ)は、植物のようであるけれども、実は動物である、というような判断は しません。もし梅園がこの生き物が動物であることを知っていたと仮定しても、海鞘について 書くとすれば、  # 海鞘はもと動なれど植して存す。故に植と為す。   というような記述にならざるをえません。 ただし、様態分類学という学問は、今のところ見あたらないようです。生物学には分岐分類学 があります。この分岐に 2分木(binary tree)を用いたこと、そして、観察可能な全世界 にその分類法を適用して、整合的に体系化して見せたというところが、『玄語』の最大の特徴 です。梅園にとっては、宇宙全体が生命体(有機的統合体)であるわけです。その点では、世 界史的に類例のない理論体系になっています。 分類学者には、細分主義者(スプリッター)と一括主義者(ランパー)がいるとされますが、 梅園は、分類を天球規模にまで拡大した「極大型ランパー」だったと言えるかもしれません。 しかし、『玄語』はもはや生物分類の枠には収まりません。それは新たな学問の形なのです。 『玄語』には、哲学的考察が含まれており、外から哲学的考察をすることも可能書物ですが、 『玄語』それ自体は哲学書ではありません。 分岐分類学には、  # 一般的・伝統的な分類概念からの乖離 という欠点があるとされています。『玄語』にも同様の性格があります。 「土石」を植物に分類せざるを得なくなるとか、「羽毛」を鳥獣の植物とせざるを得なくなる 点などです。 動物の神経系・血管系なども「植物」(植という様態に於いてあるもの)になります。 ただし、この、一般的経験からの乖離を欠点と言ってしまうと、凡庸のそしりを免れません。 なぜなら論理的思考は、ある地点からは伝統と乖離するのが当然であり、だからこそ、伝統的思惟 に対する批判が出来るからです。ガリレイの業績を思い起こせば誰でも了解できることです。です から逆に、伝統的・一般的な概念や思考が、より高度な論理的思惟に追いつけないという評価を下 すべきでしょう。 上記をもし「欠点」であるというならば、相対性理論や、カントールの無限論が開いた世界の新 たな地平は、伝統的でないという理由で批判可能になるでしょうが、そんなバカなことはまとも な人には考えられないことです。 私は、『玄語』の記述法、その学問としての性格、その内容を、ほぼ説き明かしたと確信してお ります。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 末木剛博氏は、「玄語の論理-その1-」の中で、 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: (二) 『玄語』の限界 結論の後に附論として、『玄語』の条理の論理的な限界または欠点を少しく指 摘しておさたい。 (二・一) 条理の二分法の欠点。 条理は「一即一一」・「一一則一」なる形式を持つが、それは二分法である。 その二分法の原理が『玄語』では必ずしも明瞭でない。 (二・一・一) その理由は、二分法は類(genus)と種差(defferentia)とに よって種(species)を決定することであるが、『玄語』ではその種差の概念が必 ずしも明瞭でないからである。 (二・一・二) 種差の概念が明瞭である場合もある。たとえば、「人」と「天」 との分化は「有意」と「無意」とによって定められるが、その場合「意」が種差 である。しかし常にこのような種差が明示されて居るわけではない。 (二・二・一)省略 (二・二・二) 『玄語』の諸概念について、若干の場合を検討してみたい。 (1) 矛盾対当と考えられる場合。 --「陰陽」。(「陰」は「陽」の否 定に等しく、「陽」は「陰」の否定に等しい。) (2) 反対対当と考えられる場合。 --「時処」。(「時」は「処」では ない」、また「処」は「時ではない」。しかし「時でない」ことが「処」とな るか否か不定であり、「処でない」ことが「時」となるか否か不定である。) (3) 小反対対当と考えられる場合。 --生物(「動植」)における「横 竪」。(「横でない」ことは「竪」であり、「竪でない」ことは「横」である。 しかし「横」と「竪」との中間もありうるので、「横」が「竪でない」となる か否か不定であり、「竪」が「横でない」となるか否かは不定である。) :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: と書いていますが、これは『玄語』の限界ではなく、この時点での末木剛博氏の限界です。 「生物(「動植」)」と書かれていますが、『玄語』における「動」と「植」は、 生物としての動物と植物のことを直接意味するものではありません。 なぜなら、天体も動くものであるから「動物」であるわけです。『玄語』でいう 「動物」は、たんに「動く物」という意味しか持っていません。 「動く物」の中で、天にある物が天体類であり、地にある物が動物類です。 「止まる物」の中で、気象現象の起きる範囲にある物が重力圏(持中)であり、地表に ある「小物」が「植物」です。 とはいえ、末木剛博氏が、三枝博音と並ぶ、最大の解釈者のひとりであったことは、疑 いを入れません。(三枝博音を過小評価する人は、だいたいにおいて研究水準が三枝に 及ばない人であるか、思想史的評価が未熟な人です。 ← かつての私。) 末木氏の考察が不十分であることは、下記の文例から推察されます。 6437: G0131U-016 動の身首羽毛に於けると〉 6438: 植の根幹華葉に於けると》 6439: 体は則ち相い似たり。 6440: G0131U-017 禽を為し獣を為す。艸を為し木を為す。散して万品を為すに至りては。            ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 6441: G0131U-018 則ち何を以てか分を為さん。蓋し形の異を為すや。           ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 6718: G0135U-014 正斜は錯綜し。万形は変を極む。是を以て ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 6719:  植は竪立の正を得ず〉以て邪の態を尽くす〉(この植は植物のこと) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 6720: G0135U-015 動は円転の正を得ず》以て曲の態を尽くす》(この動は動物のこと) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 末木剛博氏の解釈の根拠となり得る文は、たとえば、 5647: G0118L-012 植は地に著きて竪立す〉 5648: 動は地を離れて横行す》 13501: 昜質なる者は雲雨なり》升降に著(つ)く》 13502: G0248U-014 陰質なる者は動植なり》横竪に見(あら)わす》(陰は代用文字)           ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 13539: 動なれば則ち其の体は横俯す〉 13540: G0248L-015 植なれば則ち其の体は竪立す》 のような例がありますが、 7575: G0150L-017 形は則ち正斜なり〉 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 6759: G0136U-002 風雲水火土石のごときは。体を有すと雖も。而も 6760: G0136U-003 未だ定形を持たず。是を以て 6761: 分るれば則ち斜斜錯綜す〉 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 6762: 合すれば則ち直円混成す》 から、形態 → 正形        \          斜形 ですから、動植物の中で完全に縦のもの、完全に横のものは、ありませんから、すべて「斜形」 としての「邪」であり、その運動は、すべて「曲」です。植物も少しは動きます。完全静止の 植物はありません。風が吹けばそよぎます。動物にも手足という「枝」があります。そして、 6714: 開閉は生を別にす〉邪曲は変を尽くす》                   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ わけですから、『玄語』の限界を論じるには、いささか文例が不足していたと言わざるをえな いでしょう。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 4703-04 火は木を以て薪(たきぎ)と爲す 木は盡きざれば、則ち火も亦た盡きず 地に在る者の生化なり。 4705-06 日は影を以て薪(たきぎ)と爲す 影は盡きざれば、則ち日も亦た盡きず 天に在る者の生化なり。 この2行は、こんにちの科学的知識に照らし合わせると、様態として類比できるかどうか、疑問です。 火は、発熱・発光の原因物質が薪であるとは言えますが、宇宙の暗黒が太陽の発光・発熱の原因物質で あるとは言えないでしょうから。 ただし、梅園は一筋縄ではいかないから、断定は禁物です。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 <時間論に対する黄鶴の疑問に答える> 資料館のデジタル資料なら5/57、ぺりかん社版なら596頁の付箋集の21 黄鶴の付箋 ---------------------------------- 前注に云う。今の既に過ぎたるを前といい、今の未だ及ばざるを後という。 後ろの本文に云う。將にする者を前にし、既にする者を後にすと。この説 相い矛盾す。疑うべし。 ---------------------------------- これは、以下の部分に対する黄鶴の疑問です。 <前注> 4959:  今の既に過ぎたるを〉前と曰う〉 4960: G0107L-014 今の未だ及ばざるを》後と曰う》 <本文> 4976: G0108U-004 今なる者は〉往くを送り来るを迎え〉将にせんとする者を前にし〉 4977:                  既にする者を後にす〉 この間に、非常に悩ましい文があります。解読に苦労したところです。 4978: G0108U-005 時なる者は〉彼此 相い向う〉 4979:  彼の前とする所は〉我の後とする所にして〉而して 4980: G0108U-006 我の前とする所は〉彼の後とする所なり〉是の故に これは、川の流れのような時間を想定して考えると混乱します。 空間点A(彼)とB(此)があり、Aが上方の浅田剛立宅、Bが安岐町の梅園宅とします。 剛立が、梅園当てに手紙を出しました。3日前のこととします。出してしまったらそれはも う過去のことですので、剛立にとっては、3日前(前に注意)、つまり過去のことです。 3日後に、梅園宅に飛脚が着くとします。剛立にとっての「前」(過去)は、梅園にとっては、 3日後(未来)になります。飛脚は、常に「今」を走っています。 この事態が、「彼此 相い向う」です。 その次の4980行は、逆の場合を言っているに過ぎません。梅園から剛立に手紙を出した場合です。 4981:  往く者は将にせんとするに向いて既にするに背く〉 手紙、梅園のもとに、将に届かんとして移動しており、それは、剛立が手紙を渡した(既に 行った)からです。「背く」というのは、時間が経過していくということです。空間的に見 れば、飛脚は、剛立に背を向けており、剛立から遠ざかっています。 4982: G0108U-007 来たる者は将にせんとするを離れて既にするに就く〉 手紙は、梅園の手に届きました。将に届かんとする移動は、終わったのです。したがって 「将にせんとするを離れて」、梅園が手にした時点で、それは過去のものとなりました。 したがって「既にするに就く」わけです。 黄鶴先生は、この四行の「前後」概念の関係が難解だと書いています。確かに難解です。 私は、相対性理論をもとに解釈しましたが、黄鶴先生には、理解のもとになる知識がなかっ たわけですから、分からなかったとしてもやむを得ません。 江戸の飛脚が「不思議の国のアリス」と重なります。光は、「今」を運ぶ飛脚かも知れませ ん。送っているのは、しょせん、何らかのもののそのときの「情報」ですから。 『多賀墨卿君にこたふる書』に、何の前置きもなく、  古往き、今来たるという言も、是れより已往をいい遺せり。                           ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ と書かれた「已往」(いおう)は、このことであろうと推測しています。  (既にする)     (今)    (将にせんとする)    剛立 ----→ 飛脚 ----→ 梅園    (彼)               (此) 時間論空間論は、条理の威力が最大限に発揮されたところです。まさしく論理が開いた あらたな世界地平ですが、これが生活世界から離れていないとことが、『玄語』のユニー クな所です。 > <本文> > 4976: G0108U-004 今なる者は〉往くを送り来るを迎え〉将にせんとする者を前にし〉 > 4977:                  既にする者を後にす〉 を図示しますと、以下のようになると思います。             (前)              ↓              ↓              ↓  (既にする)     (今)    (将にせんとする)    剛立 ----→ 飛脚 ----→ 梅園      ★手紙を梅園宛に出した。    (彼)               (此)              ↓              ↓              ↓                (既にする)     (今)    (将にせんとする)    剛立 ----→ 飛脚 ----→ 梅園      ★飛脚は安芸に向かう    (彼)               (此)              ↓              ↓              ↓  (既にする)     (今) (将にせんとするの終わり。)    剛立 ----→ 飛脚 ----→ 梅園      ★梅園が手紙を手に入れた    (彼)               (此)              ↓              ↓              ↓             (後) 剛立と梅園は、ともに「後」(未来)に向かっています。 もし、「将にせんとする者を後(未来)」にしたら、いつまでたっても、手紙が届かない。 「既にする者を前(過去)」にしたら、返事を出す浅田剛立が、「現在」に居なくなってし まい、過去の人になってしまいます。 ここが、黄鶴先生には、理解できず「矛盾可疑」と映ったわけです。      時・経通       |       |       |       |       | ------+-----処・緯塞       |       |       |       |       | 4870:   [通塞] 経緯なる者は條理の大綱なり。 4871: G0106L-013 没中は剖対す〉       ※これが条理のこと 4872: 露中は通塞す》       ※これは時間と空間のこと          ~~~~~~~~~~~~~~ 4873: 通は以て時を為す〉 4874: 塞は以て処を為す》是れ乃ち 4875: G0106L-014 物の宅する所なり〉 4876: 期の路する所なり》 4877: 時は則ち宙なり〉袞袞として移る〉 4878: G0106L-015 処は則ち宇なり》FFとして住す》 4879: 住する者も亦た移す〉 4880: 移する者も亦た住す》 この「通塞」に、「将来」と「既往」があります。 4990: 来たる者よりして之を謂えば〉則ち 4991: G0108U-011 既往を前にして〉而して 4992:  将来を後にす〉 4993: 往く者より之れを謂えば》則ち 4994: 率いて往く所を前にして》而して 4995: G0108U-012 遇いて去る所を後にす》故に 4996: G0108U-013 来たる者は迎えるを見て去り〉 4997: 往く者 は送る を見て伴なう〉 4998: 来りて将に去らんとするの頃(けい)にして見(あらわ)る〉 4999: G0108U-014 将来既去は則ち隠る〉故に 5000: 生ずる者は将(しょう)に居り〉 5001: G0108U-015 化する者は既(き)に去る〉 資料があれば、『玄語』をテーマにして、卒論・修論・博士論文などは、いくらで もかけるはずですが、まだ書いた人は居ません。 資料は、すべて公開していますが、検索のキーワードは、徹底して『玄語』を読み 込まないと頭に入りません。頭にキーワードがないと、資料は使えません。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也  五〇六一    弾丸の如く實結する者を得て之を踏む   五〇六二    瑠璃の若く清虚する者を見て之を仰ぐ   五〇六七~六八  天は瑠璃の若く、地は弾丸の若くなるに由りて之を觀れば、覆う者は 天を爲す  五〇六九                                載せる者は地を爲す 地球を弾丸に喩えています。このあたりは、『玄語』の文章表現の持つ迫力ですね。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也  五〇八〇     瑠璃の如き天   五〇八一~八二  弾丸の如き地は 則ち天地を物中に開きて有り。                     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~部は、より正確に書くならば、「天地を物中の露に開きて有り」                         ~~~~~~ でしょうね。この対の文として、 央央の処、 滾々の時は、則ち天地を物中の没に開きて有り。            ~~~~~~~~~~ というような文が成立せねばならず、前者は、地冊露部に属する文で、後者は、 地冊没部に属する文であることになります。 また別の対の文として、 「天地を氣中に開きて有り」もありうるわけで、これが「天冊」になります。 どこからでも、その「反」を取り上げて、全体を論じることが出来ます。 これが、 一五四五八     將に斯の語を讀まんと欲する者は。         一五四五九     流れに泝ると。流れに沿うと。 一五四六〇     左よりすると。右よりすると。 一五四六一     中より提ると。端より起ると。 一五四六二     猶お環の手の触るる所に從いて起きて轉ずるが如し。 という読み方だろうと思います。とにかくどこからでも全体を見通せます。これは、 もともとは仏教の華厳の論理だろうと思います。 反対の語からなる整合的な文は、『玄語』の文として成立します。梅園は、似たような 文を必ずどこかに書いていますから、検索すれば、ヒットします。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 梅園全集116頁 下段3行 5490:  虚天実地は》下を地体と為す》 5491:        上は天体を為す》 5492: G0116L-003 内下は則ち本なり〉本なれば則ち中に帰して止す〉           ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 5493:  外上は則ち末なり》末なれば則ち央央に之きて際涯無し》(央は代用) 天界の冊 方位 四紀 左頁5行目、 http://www.coara.or.jp/~baika/sya939/siki18.html 5492:に当たる文が、自筆稿本では、  下爲地體〉體則歸中而止〉(下を地體と爲す。體は則ち中に歸して而して止まる。) となっています。(と、私が、自分のぺりかん社版に記録しています。「貼り紙剥落」と注を書いて います。D19/57 と記録していますので、デジタル資料の19/57にあります。) ということは、昭和44年当時にあった貼り紙が、文化庁が補修した時には剥落していたわけです。 ともあれ、剥落したことによって、訂正前の文が読めます。訂正して、 5492: G0116L-003 内下は則ち本なり〉本なれば則ち中に帰して止まる〉 5493:  外上は則ち末なり》末なれば則ち央央に之きて際涯無し》(央は代用) というような対を作っているわけです。こういうことからも、対に対するこだわりが分かります。 この意味では、昭和44年の複写資料は、貴重です。資料館に保存されている自筆稿本類から 剥落した部分が、かなりありますが、そのうちの何割かは44年の資料で確認できます。 それ以外は、確認困難でしょう。 2023年に向けては、資料調査と電子文書化とを両方やっていかないといけません。 資料館と地元の研究者が主体になって、地道にやっていくしかないでしょう。 地域の文化振興は、地域の人間がやるしかありません。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 東西南北の読み 私は、天球規模でいう時(3次元)は、「とうせいなんほく」と読んでいます。 なぜなら、東運・西転(せいてん)・南軸・北軸 の省略形だからです。  五五二九     定まる者に就きて方を取れば。則ち  五五三〇     靜規矩に從う。東西南北を定めるは。亦た  五五三一     人の以て廢す可からざる者なり。是を以て  五五三二     全方の 動靜の規矩に成るは 天なり   五五三三     偏方の 十字の衡從に成るは 人なり  五五五三 行で言う「偏方の十字の衡從」が、平面上での東西南北(とうざいなんぼく)です。 で、これを同じ読みにすると混乱するので、読み分けました。 梅園は、苦労したと思います。図表現は文よりは表現力がありますが、これも平面に描かねば ならないわけで、制限があります。 *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 粲立の読み(条理整斉読み/物の読み) では、  五五三四    是を以て升降は内に輻持す〉  五五三五~三六     運轉は外に輪轉す》運すれば則ち東す〉  五五三七~三八              轉ずれば則ち西す》西は則ち北を守る〉  五五三九                          東は則ち南を守る》故に 混成の読み(変化錯綜読み/事の読み) では、 是を以て、升降は内に輻持し、運轉は外に輪轉す。運すれば則ち東し、轉ずれば則ち西す。 西は則ち北を守る。東は則ち南を守る。故に、 となります。 条理整斉読みでは、三段に分かれていますから、少なくとも、 一段目 --- 「昇降」と「運転」というふたつの運動についての記述。 二段目 --- その内の「運転」(年周運動と日周運動)についての記述。 三段目 --- その方向についての記述と回転の軸についての記述。 ということは、おぼろげながらでも、推測できるわけです。全編こういうふうに記述されて います。『玄語』では、すべてが階層化されているわけです。 記述の階層を降りるにつれて、内容がより限定されてくるわけです。したがって『玄語』は たんねんに解析的に解読しなければ理解できません。 そして、「故に」で、次に続くのですが、これまでは、「故に」その他の接続詞を全編に渡っ て消しまくった黄鶴版を「混成の読み」で読んでいたのですから、分かるはずがありません。 『玄語』の手法は、徹底して情報処理的であり、それはおそらく日本人の知的伝統のひとつ なのでしょう。 現在出版されている『玄語』は、梅園全集/岩波日本思想大系の両方とも、黄鶴校訂版ですが、 それに従うとたとえば、 「故」を抹消したために起きる誤読の例。 (A)岩波版(黄鶴版)は、棒組みで、「故」を抹消している。  以各之立而隔〉以一之剖而通》天地相隔〉造化相通》動植相隔〉生育有依》  ( 〉は黒点、》は白点の代用) (B)これを白点黒点で配列した場合、並列になる。 2604: 各の立するを以て而して隔つ〉 2605: G0065L-016 一の剖するを以て而して通ず》 2606: 天地は相い隔つ〉 2607: 造化は相い通ず》 2608: 動植は相い隔つ〉 2609: G0065L-017 生育は有い依る》 (C)梅園自筆は、前件を受けて後件が成立する。前2行を受けて後ろの4行が成立する。 2604: 各の立するを以て而して隔つ〉 2605-06:     一の剖するを以て而して通ず》故に天地は相い隔つ〉 2607:                  造化は相い通ず》 2608:                  動植は相い隔つ〉 2609: G0065L-017                 生育は有い依る》 このような抹消が数百あるのが黄鶴校訂版(たぶん、刻料を節約するためだったんでしょうけど・・・) *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 こういう階層の末端にあるものが、現実に存在する個物です。動植物類の名前がズラズラならんでいる ページをサンプルとしてあげておきます。 http://www.coara.or.jp/~baika/data/syoubutsu.jpg 一三八二六     膃肭 海獺は》共に毛に被われ》  膃肭 おつとつ とでも読むしかないと思っていたら オットセイ。  海獺 かいたつ とでも読むしかないと思っていたら 何と、ラッコ。 むかし日本にラッコが来ていたんでしょうか。あるいは、博物の本で見たのでしょうか? 一三七九四1復元    松は女蘿 有り〉 女蘿:さるおがせ 一三七九四2復元    薔は垣衣 有り》 薔:みずたで 垣衣:しのぶぐさ う~~~~ん・・・ 知っている人は知っているんでしょうけどねぇ・・・ 度古(コウガイビル)の写真を見た時は、ウッってな感じで気持ち悪くなりました。 http://home.n02.itscom.net/wad/u/uta2.htm にあります・・・・ wikiにも出ています。食前には見ない方がいいかも(^_^;) *********************************************************************************** 【三浦梅園資料館 ほか 各位様】                               北林達也 5572: 物立は中外に由る〉 5573: 事行は向背を為す》故に 一見難解のようですが、 5572: 物体の成立はその定位の点とその外の空間に由る。 5573: G0117L-013 事態の推移は、接近と背離を為す》故に かぐやが映した「満地球」は、月を「中」とした場合に見えるもので、月を中心とした 天球もあるわけです。 地球を「中」とした場合は、月が動きますし、地球を中心とした天球があります。 『玄語』では、条理の陰陽の対関係に従って、太陽中心の場合の見え方と地球中心の場合 の見え方しか書いていませんが、『贅語』では、月に視点を移した場合の見え方を書いて います。 5573: G0117L-013 事行は向背を為す》故に は、 剛立-飛脚-梅園 の手紙の例を想起すれば分かります。 物立は、「物の立」で、前の語が後ろの語を形容していますが、「中外」は、条理の陰陽の 対関係ですから、「中の外」とは読めません。 このような場合、 5572:[物^立]由[中|外] というふうに書き換えて、各語を定義すれば、誤読しなくて済みます。 全文を、このように解析するひつようがあります。記号を援用しないと『玄語』は解けま せん。 ここでの「故に」は、抹消されていません。 5573: G0117L-013 事行は向背を為す》故に                    5574: 気象なる者は〉時の物〉動して其の居に常せず〉是を以て方を用す〉 5575: G0117L-014 気質なる者は》処の物》止して其の居を変ぜず》是を以て位に体す》故に                                           ~~~~ 5576: G0117L-015 行する者は気なり〉路は乃ち其の方〉隠然たりと雖も〉而も                                    ~~~~ 5577: 行する者は由らざるを得ず〉             5578: G0117L-016 居する者は物なり》宅は乃ち其の位》邃然たりと雖も》而も                                    ~~~~ 5579: 居する者立せざるを得ず》此の故に                       ~~~~~~~~ 5580: G0117L-017 機なる者は見気〉動止の麁跡は総て 動に入る〉 5581: G0117L-018 体なる者は露物》虚実の麁体は同じく静を為す〉是を以て                                 ~~~~~~~~ 5582: G0118U-001 方位は。処を物に定す。而して事を物に於て立す。 5573-5582:までの文のつながりが、ひとつの<解析枠>となります。 このような解析作業は、いずれ専門のメーリングリストを立ち上げて行いたいと思います。 資料に関しても、解釈に関しても、あくまでも厳密にアプローチする必要があります。 > 5572:[物^立]由[中|外] これは、分配の法則と同様の操作によって、  [物^立]由[中|外] =[物^立]由[中]|[物^立]由[外] ということになります。言葉で説明しますと、 「物体は無限小の一点に成り立つ」という事態と、 「物体は無限大の空間に成り立つ」というまったく相反する事態が、 同時に成立しているわけで、その意味で、記号 | は、西田哲学で言う絶対矛盾の自己同一 と同じ機能を持っていると言えます。 この記号は、『玄語』では「反」とされ、その自己同一化が「合」とされます。 こういう解析的解読を受け入れるのが、『玄語』の特性であり、これまで理解されなかった 原因でもあります。 こういう手順で解析していって、文法的修辞を一切そぎ落とす必要があります。それが、 『玄語』の核(コア)を成しています。 ***********************************************************************************


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