ま え が き

 本資料は、三浦梅園第一主著『玄語』を新たな観点から編集し、訓読したものである。『玄語』全編
を訓読したものは、既に三枝博音著『三浦梅園の哲学』(昭和十六年刊行)に付属資料として掲載され
たものがあるが、総ての語に振り仮名を付けた総ルビ訓読版として制作されたものは、本資料が初めて
である。総ルビ版としたのは、今日では、漢文を読める人は専門教育を受けたごく一部の人に限られて
いるため、難解な漢字を多数含む文献は、たとえ訓読されていても甚だ読みづらいという時代的状況を
考慮してのことである。
 むろん、振り仮名があるといっても、それはたんに読めるというだけのことであって、意味が分かる
わけではないが、総ルビ版とすることによって、表面的にであれ「読める」ようになれば、それは少な
くとも、『玄語』が持つ垣根のひとつを取り払うことにはなるであろう。読みの分からない漢字につい
ては、質問することすらためらわれるのが普通であるから、この垣根を取り払うことの意味は小さくは
ないと思われる。
 ことに『玄語』は、我が国における知識工学の源流を為すと目される特異な書物であるため、それを
専門とする人々に是非とも読んでもらいたい書物である。日本に、もしも日本独自の知識工学/情報処
理技術の歴史があるならば、それは欧米の歴史よりはるかに先駆的なものである可能性があるし、現代
のコンピュータ技術に何か新しいファンクションを付加しうる可能性も無いとは言えない。そのような
歴史を持つ国であるからこそ、日本は世界で唯一、独自のコンピュータ技術を構築し、世界初の二足歩
行ロボット、世界最高速のスーパーコンピュータを作るまでに発展しうるのではあるまいか。専門分野
を越えてのコラボレーションは、予想を超えた実りある結果をもたらすことがあるが『玄語』という書
物にはそれを期待できる何者かが存在すると思えてならない。
 本資料の特色は、総ルビ版であるということだけではない。それはむしろ末節のことであって、最大
の特色は次の二点にある。このうちより重要なのは第二点である。

 1.白抜きと黒の傍点による文の対称構造を視覚的に確認できるようにしたこと(本資料では記号で
  代用)。三枝版では『玄語』は散文化されて読まれていたが、それはまったくの棒読みであって、
  記述の構造というものが全然わからなかった。記述の構造を読みとること無しに、文の意味を正し
  く読みとることは出来ない。そのため、三枝を出発点とする『玄語』の解釈は、実に多くの誤解に
  包まれており、資料精査をしない文献解釈の典型のようになってしまっている。

 2.本資料は、基本的には電子文書として準備された【玄語検索用電子テキスト・訓読編】の印刷版
  であって、たんなる原典訓読版として書かれたものではない。『玄語』を訓読しただけの場合、意
  味の読みとりは、まず不可能と言ってよい。制作者の立場からすれば、これはコンピュータによる
  語彙検索を行ったあと、その前後の文または文の集合―編者は文のブロックと呼ぶ―の構造を視覚
  的に確認し、その上で「文として読む」ための付属資料に過ぎない。

 資料の本体はあくまでも電子文書として用意されたものである。この電子文書には、おおまかに三つ
の種類がある。

 1.主として単独のコンピュータで使うためのテキスト(現在の文字コードは Shift-JIS)
 2.インターネット上に公開されているインターネット版『玄語』(Shift-JIS)。これは『玄語』各
  冊の構造を視覚的に確認できるように工夫されており、原本からの欠落を除く総ての図が掲載され
  ている。
 3.この資料の版下製作に利用した純国産基本ソフト「超漢字」(正式名 B-right/V Rx 最新版はR4,
  2002.10現在)による超漢字版『玄語』(TRON Code)である。(興味深いことに、両者からは非常
  によく似た印象を受ける。)

 しかしながら、これからの文献研究では、どれかひとつの資料から必要な総ての情報を得るというこ
とは、行うべきではない。そういう時代ではなくなったのである。基本はまず第一に自筆稿本である。
現在ではこれも電子画像として扱うことができ、インターネットなどを通じて、いつでも閲覧可能な状
態にできる。梅園の自筆稿本類も遠からず、インターネットを通じて、全世界でいつでもどこでも読む
ことができるようになるであろうと期待している。第二にこれを忠実に翻刻した電子資料とその印刷版
が必要である。漢字文献や古典的文体で書かれている和文資料の場合は、それを現代人に読めるように
した訓読、あるいは口語訳の資料などが必要である。第三に、詳細な語注が必要である。ことに『玄語』
のように独自の用語が多用される書物の場合は、詳細な語彙辞典が作られねばならない。語の意味が分
からなければ文の意味が分かるはずがない。文の意味が分からなければ研究ができるはずがない。
 第四に、これまでの古典的文献研究から離れて、純粋に情報処理的観点からの研究が為されなければ
ならない。たとえば、この印刷版の資料ではどの語が何回使われているかを自在に数えることは不可能
である。しかし、電子文書ならば、たとえば「大物」は『玄語』全体の中で九十七回、「小物」は五十
五回使われていることがたちどころに分かり、必要なプログラムを組めば、それがどのような分布を持
っているか、つまり『玄語』のどの部分でより頻繁に使われているかを知ることができる。また「大物」
や「小物」という語を含む文をほとんど一瞬にして取り出すこともできる。これは研究のターゲットを
絞り、いっそう精緻な考察を加える上で非常に重要な情報となる。このような作業が、少なくとも「玄
語図」の中に書き込まれた主要な語彙に関して行われねばならないであろう。

 本資料は、これからの古典文献研究の基本のスタイルを為すと思われる、電子文書と印刷媒体による
多角的資料群のひとつのサンプルとして計画されたものの中の印刷資料にすぎないものであって、なん
ら完結したものではない。印刷資料は電子文書に向けて解放されており、電子文書は印刷資料によって
補完されている。こうした資料群から、新たな意味的情報を読みとり、数量的情報を抽出することを通
して、専門化された学の境界を超えて古典の叡智を現代によみがえらせることが可能となるかも知れな
い。
 そのようなものとして、つまり、日本の未来に歴史の叡智を注ぎ込むひとつのシステムとして、いま
『玄語』の資料群が制作されつつあり、ここにその一端をわずかに世に示すことができた。
 『贅語』『敢語』に関しても同様の作業が行われねばならず、さらには江戸期以前の日本学(和学)
全体に対して、同様のアプローチによる多角的資料群が形成されねばならないものと考える。その研究
の上にこそ、将来の日本が建設されると信じて疑わない。学なき国家は脆弱である。それは戦後日本を
見れば明らかである。が、今後の日本はそうであってはならない。
 このような視点を確かなものとする根拠は、実は『玄語』そのもののなかにある。それはパーソナル・
コンピュータの飛躍的な発達にともなって明らかになったものである。以下、それを箇条書きにする。
用語が専門的になるのはやむを得ないが、コンピュータを使い慣れた人ならば、ふだん見聞きする用語
ばかりである。コンピュータと『玄語』の関連に興味のない方は読み飛ばしていただいてかまわない。

 1.『玄語』のほとんどの部分は、コンピュータ一般が持つ階層ディレクトリ構造を持っている。

 2.階層の展開深度を各冊ごとに統一しており、最も深い階層のひとつ手前に至るまでの経路が二分
  木構造( binary tree structure)、最末端の階層が多分木構造(multiway tree)になっている。
  二分木構造は明らかに平衡二分木(balanced binary tree)となっている。

 3.木構造モデルならば当然のことであるが、ルート・ディレクトリから末端の全項目(一般にはフォ
  ルダ、超漢字ではキャビネットと呼ばれる)すべてにパスが通っている。たとえば、『玄語』をル
  ート・ディレクトリとすれば「地冊没部」の末端の項目のひとつである「方位」は、ウインドゥズ
  系列のPCならば、

   玄語\地冊\没部\天界\宇宙\方位 

  というふうに表示される。パスが通るというのは、本資料の目次においていえば、出発点から末端
  まで線で結ばれるということである。『玄語』のすべての末端の項目は、同様に表記できる。パス
  (path)に相当する『玄語』の用語は 「條」である。(梅園は「條はもと木のゑだ(枝)なり」
  と書いている。( 和文「答多賀書」)

 4.しかし、たとえば、語と語をつなぐ図の同心円や、「一」の連鎖である「経緯剖対図」などを見
  ると、『玄語』がこれと異なる構造を持っていることがわかる。ここに束構造や有向グラフ構造と
  の関連性を見る専門家もいる。

 5.『玄語』は構造化ファイルである。ファイルの各要素の名称や属性、その配置を「ファイル構造」
   と言い、構造の定義されたファイルを「構造化ファイル」というのであるが、『玄語』はこのよう
   な意味での構造化ファイルである。梅園は意図的にそのように『玄語』を設計したのであるが、こ
   れまでそのことに言及した研究者は皆無であった。

 6.『玄語』はハイパーリンク構造を持っている。階層ディレクトリ構造は制約の多いファイル構造
   であるが『玄語』は、木構造間をハイパーリンクにより結合した構造になっている。
   ハイパーリンクはインターネットを構成する構造である。『玄語』にもこの構造が明確に読みと
  れるのである。古典文書としてでなく、ひとつのデータとしてその構造を見るならば、『玄語』は
  <リンクとノードの集合体>ともみなしうる。テキストがハイパーリンク構造を持っているとき、
  それはハイパーテキストと呼ばれるが、『玄語』は明確にハイパーテキストを意識して書かれてい
  る。
   ハイパーテキストの概念がバネバー・ブッシュ(Vannevar Bush)によって初めて提唱されたのは、
  1945年のことである。梅園は概念の提唱は行っていないが、実際にそのような発想で『玄語』
  を書いている。200年以上も前に、今日のコンピュータで用いられるファイル構造だけでなく、
  インターネットを可能にしているハイパーリンクの発想を持っている書物を実際に書いたのである。
  
 7.『玄語』は以上のような基本構造を持った上で、地球生態系のデータベースを形成している。つ
  まり梅園は紙の上で、木   構造モデルやハイパーリンク構造を用いて、地球環境をシミュレー
  トしようとしていたのである。その基本的な最大単位は天球であり、基本的な最小単位は地球上の
  動植物類と鉱物類である。『玄語』はこのような視点に立って、データ解析的に研究されねばなら
  ない書物である。

 以上のような内容について紙面で説明するのは極めて困難であるので、基本的な情報を収録したCD
-ROMを作成した。これは、『玄語』の構造がひと目で分かるように作っているし、一部ではあるが
『玄語』のハイパーリンクを体験できるようにしている。ふたつの資料を参考にしながら、コンピュー
タを用いた玄語研究に足を踏み入れていただきたいものであるし、情報処理工学の専門家に工学的見地
からのアプローチを試みて欲しいものである。
 『玄語』は、未知の可能性を秘めた書物であり、その時空間論だけをとっても、人類史上の至宝とす
べきものである。そこには、東洋近代の叡智が結集しており、これを読み解くことは国家の急務である。
世界の中の日本はいかにあるべきか、その指針を得ようと思うならば、まず我々は三浦梅園の著作を読
み解かねばならないであろうし、それを手掛かりにして広く江戸日本を探求せねばならないであろう。


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